1.自分の本質を探して坐禅の世界に:
自分はどうしてここに生まれてきたのだろうか、また自分は死んだらどうなるのだろうかということは、子供の時代から漠然と抱いていた疑問だった。
私の記憶では、この問題について真剣に考え始めたのは小学校6年生ごろであったと思う。この頃、母が出勤の途上に寄り道をして、大井町の東照寺の伴老師による早朝坐禅会に参加していて、坐禅の様子を時々話してくれたことが大きく影響していると思っている。また幼いときに父が戦病死し、戦後の混乱期に妹が病死したことも、人間の生死に関して潜在的な疑問を抱かせることになったのだろう。その頃、私が父代わりに慕っている禅の修行者でもある叔父が上京して来た折に、「人間は死んでしまうと何も残らないのか、本当に全てが消えてしまうのか」と質問した覚えがある。しかし当時は叔父も納得の行く説明をしてくれなかった。そのような訳で子供時代の私にとって、自分の誕生と死は、知りたくても全く手がかりの掴めない問題だった。
その後成人し、国内企業勤務を経て30歳で外資系企業の幹部職員候補に登用されて恵まれた人生を歩んでいたので、生死の問題を考えることは無かった。米国勤務をはさんで結婚し、一男一女にめぐまれた。 小さな子供達を妻にまかせて、世界中を飛び回るような生活をしていた35歳の夏、突然、姉を癌で亡くしてしまった。落胆し嘆き悲しむ母を見ることは、私にとっては大変な苦痛であった。この悲しみを乗り越えさせるには、母に坐禅を勧める以外ないと考え、母の弟である叔父に相談した。その結果、少し遠いが福島県にある好国寺の接心に、毎回私が母を同伴して参加することになった。冬休みに準備の為に叔父が上京し、私に坐禅の手ほどきをしてくれた。
叔父は一通り坐禅の方法について私に説明した後、実際に二人で坐禅をした。終わってから、生死問題に関して、とても信じられない話しをしてくれた。それは、「この世は皆自分の妄想の世界だ。目の前にいる自分(叔父)も私たちを囲む世界も本当は存在しないのだ。全ては自分が描き出す世界にすぎない。現象の世界での、それぞれはちょうど大海のひとつの波のようなものだ。そしてそれらは大海と同じく、全ては自分だ。」このような内容だったと記憶している。言葉は理解できても、この意味するところが全く信じられないと言うと、叔父は、「自分の言葉を信じる必要は無い、坐禅をすれば体験的に分かる。」と言った。
そのような訳で、35歳から好国寺の玉木老師の元で参禅するようになった。
玉木老師は曹洞宗大雲会の創始者で高僧として知られた原田老師の弟子で、原田老師がご存命中の発心寺では単頭を努められ、激しい策励から警策を何本も折られたと言う話が伝えられていた。原田老師が亡くなられてからは、好国寺に戻り僧堂を開かれ、そこで禅の指導をされていた。私がお会いした時にはすでに高齢になられ、体も弱く、そのような激しさは感じられなかった。しかし初心者の間では、優しく、きめの細かい指導をされる師家として知られていた。
好国寺は曹同宗の禅専門道場として、出家して好国寺に住み込みで修行している雲水だけでなく一般の僧職にある人や、出家せず在家で職業を持ちながら修行している我々のような者に対応して坐禅の機会を提供してくれている。坐禅の修行では、一般に接心と呼ばれる5日間僧堂に泊り込みで行われる坐禅会に参加するのが普通である。この接心は、寺により異なるが、好国寺では5月の連休、8月のお盆明け、11月の文化の日の前後に行われていた。通常の参加者は雲水10人、一般女性30人、一般男性40人ぐらいであったと記憶している。
一日のスケジュールは朝5時の振鈴による起床から夜九時の開枕まで細かく定められており、私語厳禁の環境で粛々とまた生き生きと進められる。
私は1978年の夏の接心から参加した。前日に私を含め初参加の人たちに対し、単頭の佐藤老師から禅門の作法についての説明が行われた。そして簡単な夕食の後、玉木老師を囲んでお茶を飲みながら和やかに歓談し、翌日からの接心について覚悟を新たにした。
初日は、初心者に関しては、皆で坐禅の基本について老師の説明を聞く総参という形で行われ、老師と一対一で参ずる独参は行われなかった。総参では坐禅の心構えや、その方法を中心に話があった。坐禅の目的は、真の自分を体験的に知ることであり、これは見性(一般には坐禅による悟り)と言われている。見性を体験すると大きな感激があって、至福の喜びに包まれると聞かされていた。接心の目的は一にも二にもこの見性にあるとの話であった。
総参が終わった2日目からは、これまで長い間参禅してきた一般の人達(旧参の人達と呼ぶ)や雲水に混じって真の自己を求める修行が始まった。いくつかの初歩的な坐禅をした後で、老師は「無字」の公案をくれた。公案とは修業の境地を高める為に、歴代の祖師により考え出された禅問答のことを言うのである。老師は私に、「この無字に参じて無字を見つけて来い」と言うのである。今となれば、長年の参禅の度に見つめてきたこの無字であるので、ある程度は理解できるが、その当時は質問の意味すら分からず、何もかもさっぱり分からない暗中模索のスタートであった。
しかし科学を追及する人間として、論理的に明確に理解できていたことがある。
それは、宇宙が無限の昔から無限の時を経て今があるとすると、生まれて、死ぬような有限なものは、無限に長い時のなかでは、既に絶えてしまって、もはや存在していない筈である。ちょうど有限な数字を分子にして無限大を分母にしたようなもので、無限大の時間の前では、自分の命が有限と仮定すると存在しないことになってしまうのである。今ここでこのように本を書いている私も存在していない筈である。しかし私は今こうしてキイボードを叩いている。と言うことは、私はこの無限の時を生きてきたはずである。すなわち本当の自分は死ないのではないか。死ぬのはこの古くなった身体という入れ物だけではないのかと言うことである。それではこの死なない自分とは何か、また自分を取り巻く世の中は一体何なのか、これが私が知りたいことだった。勿論突然あるとき、この宇宙に生まれてきたのだと主張する人もいるだろう。しかし物事には全て原因があって、結果がある。ならば突然生まれるその原因は何だろう。その原因となるものはこの無限の時間のなかでどのように生まれたのだろう。またそれはどうやって存在してきたのだろうと言う疑問が生まれ、結局は無限の昔からの存在を肯定せざるを得なくなる。しかし本当の自分は未来永劫存在する筈だと頭で理解できても、自分と周囲の事物やその事象との関係に釈然としないものを感じていた。母の付き添いで始めた坐禅であるが、自分自身はこのような大きな疑団を抱えていた。
初めて接心に参加してからは、家でも毎朝坐禅をし、年に三度の接心にも欠かさず参加し無字の探求に没頭した。2年目位から、単頭老師が私にも激しく策励をしてくれるようになった。時には、肌着の肩の部分に血がにじむこともあった。このような策励の嵐の中で、ただひたすら無になろうと必死に坐禅をしていたが、老師の面前で提示するものは何もなく、答えに窮する日々が続いた。坐禅を始めて3年程経ったころ、春の5日間の接心会に参加し、禅堂で坐禅をしていた。そこで一心に無―と坐禅をしていると、(無に集中していると)突然、自分の姿を後ろから見ていることに気が付いた。無ーとやっているのは、自分のようだが、今意識している自分ではない。それが、ただ一生懸命に無ーと坐禅をしている。自分は今その姿を後ろから見ている。これは一体どうしたのだろうと考え始めたら、坐禅をしている自分に意識が戻った。
その後に続く坐禅で、はっきりと気が付いた。本当の自分は死なない。自分と思っているこの身体が生きたり死んだりしているのだ。ここで私は「やっぱりそうか」と言う想いと共に深い安ど感に満たされた。
通常は、身体を自分だと思っている。言い換えれば自分の意識( 心、 consciousness)が肉体に囚われている。しかし深く坐禅に集中した時、意識が身体を離れて広がった。この時、身体は障子や柱時計と同じく、この世界(現象界)の一つの存在にすぎなかった。それを肉体から離れた意識が見ていた。障子も柱時計も、老師も、仲間も自分の身体も、皆意識の前に現れた存在であった、このように坐禅により無になって自己が消えると、意識は肉体の束縛から離れる。また自己を意識している時には、意識は肉体と一つになっている。
このようなことを漠然と考えているうちに夏季接心の時期になった。この接心はいつもより更に策励が激しく、私も気合をいれて坐禅に励んだ。しかし4日目の独参の際、老師から「あまり力まないように」と注意された。そのとたんに力が抜けてしまい、今回は諦めて、次回にがんばろうと言う気になった。ただ力を抜いて静かに坐禅をする事に努めた。そうして最後の日を迎えた。朝の独参の際、老師の独参室の入り口でお拝をすると、老師は優しく「良し」と言われた。何が良いのか分からずただ室内に飛び込んだ。老師はすかさず「無」に関する質問を浴びせてきた。これにすべて答えることができた。すると「千尺井底のガマ、寸糸を用いずいかが釣り得ん」という公案に参じるように言われた。このような言葉で理解できる公案は初めてだったので、感激して単に持ち帰り参じた。非常に気持ちが高揚していたが、いつにも増して深く座ることができた。公案に集中しているとガマとひとつになった。「これだ」と思って、独参に飛び出した。老師は優しく対座して、終わると見性を許してくれた。
この見性後は多くの公案に参じることになった。初めの公案集は雑則といわれ、「隻手の音声」など無門関や従容録などの公案集に載っていないもので、しかもよく知られた公案をまとめたものであった。
公案禅では、参禅者が個々の公案に参じて、自分の頭に閃いた見解を老師に提示するのである。その見解の境地(境涯と呼ぶ)が高い場合のみ次に進むことが許されるのである。時には弟子が老師の境涯より高い見解を出すことがあるので、独参は老師と弟子の真剣な見解をかけた戦い(法戦と呼ぶ)になる。
その雑則の例としては、先にあげた「隻手の音声」や「父母未生の我」など約50則ある。一年に三回催される接心会の全てに参加して公案に参じたが、一回の独参で一問を通ることは難しく、全ての雑則を終えるのに5年もかかってしまった。はっきりとした深い見性をしている人はもっと簡単に通ると聞いていたので、多分自分の見性は浅いものだったと思っている。このようにして苦労して雑則を終えたものの、自分の意識に進歩があったと言う自覚はなかった。また真の自己についての体験も薄く、まだ多くの疑問が残っていた。しかし六年目からは待望の「無門関」に参ずることになった。
一方、坐禅とは別に、人生の仕組みに関しても色々な資料を読み理解に努めた。その結果、多くの客観的な文献が英語圏に存在することが分かった。それらに共通している見解は次のようなものである。「この世界(現象界)は、この真の自己が自己の本質を体験しようと願い、人生の課題をもって創造した世界である。自分とこの世界の万物は一つである。」別の言葉で言うと、この世は幻(夢)の世界。幻を見ている自分(意識)だけが真実、他は自分の思考が想像した現象(幻)である。この現象の世界が無くなると、後には何物も存在しない。宇宙すらも無い。
1994年の10月にSynopsys社のQuarterly Business Review(4半期事業検討会)に出席する為にドイツに出張することになった。飛行機の中での時間つぶしに読む本を空港の書店で物色していると、「理性のゆらぎ」と言う本が目に留まった。(文献4参照)哲学の本かと思って手に取りぺらぺらとめくって見ると、科学者のインド旅行記の様でもあるが、サイババ、神、真理、などの旅行記らしからぬ単語が目に入った。何やら神秘的な感じがして面白そうなので取り敢えず買った。それを飛行機の中で読み始めたが、著者の非常に不思議な体験が極めて具体的に書かれてあり、とても作り話とは思えず面白くて一気に読み進んだ。もしここに書かれていることが真実であるなら、こんな素晴らしいことはないと思った。
この著者は青山圭秀氏といい、医学博士号と理学博士号を持ち麻酔のメカニズムを大学で研究している学者である。この著者がアーユルベーダーの研究のためインドの大学に出かけた際に、サイババと呼ばれる聖人の修行道場(アシュラムと呼ぶ)を訪問して体験したことを中心に書かれた本である。
この本に抜粋されたサイババの教えは禅と全く同質のものであった。すなわち、この世は夢の世界である。この世では目に映るもの全てが自分である。その自分のみが真実であり、それは愛である。それが存在する全てである。しかし愛だけでは愛が愛を体験することは出来ないので、それを自ら体験するために、この世と言う二元対立の世界が生じた。この本当の自分を神と言う。サイババは、「自分は神の化身だ。皆も同じく神の化身だ。皆との違いは自分はそれを知っており、皆は知らないだけだ」と語っている。これは禅の世界を体験し、独参を通して確認される禅の教えと全く同じである。
サイババの行う奇跡についても、著者の体験を中心に簡単であるが客観的に記述されていた。たとえば、死んだ人を生き返らせたり、盲目の人を開眼したり、空中から物を物質化したりすることである。また人々の過去から未来まではっきりと見通せるとのことである。これらは何人も目撃者がおり、また著者も直接そのいくつかを体験したことなどが書かれていた。この特別な能力についてサイババは「自我の執着から完全に離れると誰でも手に入れられる能力だ」と語っていることなど、私の知識をはるかに超えることが書いてあった。会議の開かれるミュンヘンのホテルに着いても、この本から得た興奮は抑えることが出来なかった。その後に続いた会社の会議も全く上の空で、早くインドに行ってこの目で確かめたい一心であった。
帰国するや否や、サイババの日本組織(Sathya Sai Organization Japan, SSOJ)を探して出かけ、関連する全ての本を購入し読破した。サイババは「人々が宗教を信じることは良いことだ。皆それぞれ信じる宗教を変える必要は無い。ただ貧しい人や助けを必要としている人々に愛をもって奉仕しなさい。どんなことがあっても人を傷つけてはならない。それが真の自己を悟る道だ」と説いていた。その組織名もサチヤサイ奉仕組織( Sathya Sai Seva Organization、SSO) というものだと知った。この組織のスローガンは Love All, Serve All. Help Ever, Hurt Never(皆を愛し、皆に尽くせ。人々を助け、決して傷つけてはならぬ。) というものであった。これらの本を読めば読むほど単純明快で自然な、愛と奉仕をモットーとする組織が見えてきた。
このような訳で、ますますサイババに会いにインドへ行きたくなった。しかしアシュラムと呼ばれるサイババのご在所には常時数万人、降誕を祝う日には百万人近くの帰依者が集まるとあるので、近くでお目にかかることは難しいように思われた。
入手した本の情報により、サイババのアシュラムはインドのバンガロールから車で3時間ほど離れたプッタパルティという村にあることがわかった。運の良いことにバンガロールは友人のRajiv Mody氏が社長をつとめるSAS 社の本社がある通称インドのシリコンバレーと言われるところであった。そこで早速電子メールで連絡すると「全てこちらで手配するから、来たいときに来い。」「インドに着きさえすれば、後は自分が責任を持つから心配するな」と言う嬉しい返事が来た。
そこで正月休みを利用して1994年12月24日から1月2日までインドに出かけた。マドラスから国内線に乗り換えて、そこからバンガロールへ行くのである。国内線のチェックインの際、本に「サイババは自分が呼んだ人だけが来ることができると語った」とあったことを思い出した。そのとたんに、頭の先から、小さく震える感覚がゆっくりと体を通って行く体験をした。妙なこともあるものだなと考えていたがその時はすぐに忘れてしまった。
バンガロール空港に到着するとRajiv Mody氏が出迎えてくれた。彼は「全ては手配した、全く心配はいらない。自分の借家の大家が州警察庁のナンバー2のIGP(Inspector General of Police)のVijay Sasner氏であり、彼の友人でプッタパルティ地区を管轄している大学同期のSri Nivasam氏を通してアシュラムの管理部門の責任者Narayan氏と広報部門の責任者Rajan氏に、私のアシュラムでの宿舎の手配とサイババとのインタビューを特別に申し込んである。自分も家族と週末に行くから一緒にインタビューを受けよう」との話であった。これまで読んだ本の知識ではサイババは決して縁故でインタビューを与えたりしない、サイババは、その時に必要と感じる人しかインタビューに呼ばないと聞いていたので、半信半疑であった。
SAS社で一休みの後、準備してくれた車で技術者のNachiket氏とNiraj氏 の二人がアシュラムまで送ってくれた。アシュラムまでの沿道は赤土と岩だらけの荒地が続いた。このような荒地でも耕されていて僅かな緑が感じられた。3時間ほどドライブすると、大きな病院、続いて大学、高校などの施設やアシュラムの外で宿泊する人々のためのゲストハウス(民宿)などが現れた。ここはプッタパルティと呼ばれるアシュラムの門前町で大変な混雑であった。
アシュラムでは、紹介状を持っていたので個室を与えられた。ここからアシュラムでの生活が始まった。しかし周りに知り合いは一人もおらず心細い限りであった。
アシュラムにいる人々は朝7時と午後4時に行われるサイババによる祝福を受けようと集まっているのである。運が良ければ個人インタビューを受ける幸運に恵まれる。このサイババによる祝福はダルシャンと呼ばれ、サイババが、皆が座っている間の通路を歩きながら行われる。従って、通路の前面に席をとるとサイババを身近に見ることが出来、運が良ければ話かけられたりインタビューに呼ばれることがある。この席取りの為に人々は3時間前から並び始める。この時期、アシュラムには数万人がいた。
ここからは、日記を参考にして特別な出来事のみ記すことにする。
2.日記
1994/12/28
アシュラムでの生活の要領が分かってきた。ダルシャンの際、サイババ(以後スワミと呼ぶ)に手紙を直接手渡す人が多い。願い事や質問であると思われる。そこで私も手紙を書いて常に所持し、ダルシャンの際に機会があったら渡したいと思った。その文面は以下の通り。
Thank you for taking care of my family and giving me a chance to come here. Please help my mother and me to clearly understand who we really are.
28日の夜半過ぎ、頭痛で目が覚めた。時差により睡眠が浅くなっていることに加えて、毎朝4時に起きるため、睡眠不足による頭痛と思われた。以前ビフーティ(聖灰)をつけたら病気が治ったと言う話を聞いたことを思い出し、早速アシュラムの売店で入手したビフーティを飲んでみる。しかし症状は変わらなかった。更に傷口につけたら治ったと言う話を思い出して、今度は頭の天中にすり込んでみた。そうしたところ、たちどころに頭痛が軽減した。その後30分位様子をみていると痛みはまったく消えてしまった。そこでまた寝ようと思って何気なく手を見ると、両手が蛍光灯のように青白く光り輝いていることに気がついた。全く不思議なことだが、これはスワミが引き起こしていることに違いないと思って、急いで飾っておいたスワミの写真にお拝をした。後で全く同じように手が光り輝く体験をした人を知ることになったが、当時はそのような予備知識も無く、ただ何か不思議なことが身の回りで起こっているようで、不安な気持ちから、あわてて寝袋にもぐって寝てしまった。しかし翌日の朝は何も起こらなかった。スワミの写真にビフーティでも出ているかと思ったのだが、そのようなことはなかった。しかしこの頃からスワミを思い出すと体が小さく震える感じがするようになった。この感覚はマドラスの国内線カウンターで初めて体験したものと同じであった。
1994/12/29
今日は運の良いことにダルシャンでスワミに手紙を渡すことができた。
昼食の際、隣り合わせたアメリカ人と知り合いになった。彼はAlfred Brinand氏と言って、スワミを知って5年ほどになるアメリカのスコットバレーのセンター(帰依者のグループ)に属している人で、スワミの指輪をしていた。この指輪にまつわる話を聞かせてくれた。「3年目のあるときダルシャンで座っていると、前の人がスワミの絵の描かれた指輪をしていたが、スワミの絵がこすれて消えそうになっていた。そこで思わず、自分なら擦れても消えない金属製の指輪が欲しいと思った。その後幸運なことにインタビューに呼ばれた。その際、スワミが自分を呼び、手を下に向けてくるくると回すと指輪が現れた。スワミはそれをひょいと取り、自分の指にはめてくれると、ぴったりと指に収まった。それは過日、自分がイメージしたものとそっくりで、特別な金属にスワミの顔が彫られてあるとても美しいものであった。」
彼は私から友人のRajivが州警察の幹部を通してアシュラムの事務局にスワミとのインタビューを申し込んだとの話を聞き、一緒に事務局へ行こうと誘ってくれた。Rajan氏が応対してくれて、彼は「要請は受けているが、その後連絡がないので気にしていた」と言った。こちらも電話回線の具合が悪くRajivとは連絡が出来ないこと等を話したところ、「予定の土曜日(31日)の3時にもう一度ここへ来れば、特別な席に座らせてやる」と言ってくれた。
1994/12/31
約束の時間にAlfredと共に、Rajan氏の所に行くと、彼は私たちをホール中央の特別なエリアに連れて行き、私をその最前列に、アルフレッドを私の後ろに座らせてくれた。ここはスワミがダルシャンの際、女性の区画から、男性の区画に入る最初の場所で、スワミの目につきやすい特等席とも言えるところであった。
ダルシャンが始まった。スワミは女性の側から歩いてこられ、私の座っているところに来ると、私を認め、優しい笑顔で「どこからきた?」と英語で質問された。私がすかさず「日本からです」と答えると、手の平を下にしてくるくると数回まわした。そうすると手の下からビフーティが生まれ、それをさっと掴んで、私の手の平へ落としてくれた。そうしてそのまま行こうとされた。そこですかさずAlfredが「インタビューしていただけませんか」と叫んだ。スワミは振り返り「何人いるのか」と聞かれたので、彼は即「ただ二人です」と答えた。するとスワミは「行きなさい」といわれた。私はこの一連の出来事に、ただ嬉しくて呆然としていた。すぐにAlfredに促されインタビュールームに向かった。インタビュールームの前で、他にも呼ばれた人たちと座って待っているとダルシャンを終えてスワミが戻って来られ、インタビュールームに招かれた。
私達を加えて5家族ほどがいた。まずスワミは右手をくるくると回してビフーティを物質化して女性たちに配った後、家族単位にその奥にある個室へ呼んだ。私達は4番目だった。スワミは前のグループのインタビューを終えて個室から出られ、私達に向かって「Japanese」と呼ばれた。
個室へ入るとスワミが正面に座わられたので、Alfredにならって、スワミの御足にパドナマスカールというインド式の礼拝をおこなった。そうしてスワミの椅子の両側に私達は座った。それからスワミはAlfredに向かって話をされた。その内容は興奮していたのでほとんど聞き取れなかった。それから私に話をされた。その内容は大体次のようなものである。
「目に見えるものは実は存在していない。たとえ存在するように見えても、存在していないのだ。」後で気がついたことであるが、これは私が手紙に書いた質問の答えであると感じた。
次に、「あなたは心配しすぎる。ダルシャンに並んで待っているときでさえも、スワミが自分を見てくれるだろうか、インタビューに招待してもらえるだろうかと心配している。心配しなくても良いのだよ。」と言われた。
さらに続けて、「現在の状況はあなたをひどく悩ませている。Present Company(現在の仲間または会社)はあなたにとってよくない。しかし心配しなくてもよい。状況は2月に改善する。I am taking care of you(私はあなた方の面倒をみているよ)」と言って私の肩を抱き頭に触れてくれた。
この当時は商法に関連して、私が会社に対し訴えを起こしており、私の主張がほとんど受け入れられず苦戦をしていた時期であった。特に裁判に必要な書類を作ることは、神経を使うと共に不快なものであった。この状況が改善すると理解することが出来た。しかしPresent Companyとは現在勤務中の会社のことか、現在付き合っている仲間のことか、SAS社の仲間のことか判断ができなかった。
それからスワミはAlfredに話しかけた。私は頃あいをみて母について聞いてみた。スワミは私の方に向き直り、「あなたの母親も心配しすぎる。あなたについて、あなたの家族について、またChildについて心配している。でも心配しなくて良い。I am taking care of her.」と言うとまた私の肩を抱いてくれた。
ここでスワミは幾度となくI am taking care of you. I am taking care of her.と言われているが、この表現は私が手紙の中で使った表現と全く同じであることに気がついた。これで、スワミは日に千通を超える手紙を受け取ると思われるが、誰が何を書いたか全て知っているということが分かった。
こうしてスワミの個別インタビューは終わった。
翌朝のダルシャンでは、私は前から2列目にいた。昨日のインタビューの続きを与えられるかと期待して座っていた。そこへスワミが皆の手紙を受け取りながらやってこられた。2m位の距離まで近寄られた時、私は「スワミ、お陰さまで何の心配事も無くなりました」と心の中で話しかけていた。そうすると私をチラッと見て一瞬微笑まれ「分かっている、分かっている」と言われたような気がした。
ダルシャンが終わってからAlfredと二人で喜び合った。彼はこの滞在中、歯茎が腫れて悪性腫瘍でないかととても心配していたそうである。しかし私とスワミのインタビューを受けた夜、すなわち昨夜、「ピューと音がして膿が出て、それから腫瘍が小さくなり、朝にはすっかり治っていた」と言って、とても喜んでいた。これをAlfredはスワミの恩寵だと信じている。
この滞在期間中に、あるドイツ人がインタビューに呼ばれた。その際に同席した婦人がAlfredと私に語ってくれた話によると、「そのドイツ人に対してスワミはいつもより少し長く手を回して何かを物質化しようとされていた。そうすると大きなリンガムが現れた。後で重さを計ると300Gあった。これをそのドイツ人に示して、これを水に入れて、その水を病人に飲ませると良いといって与えられたそうである。」その後このドイツ人はドイツで17の病院を管理する責任者だと判明した。色々と本を読みこれらの奇跡について知っていたつもりであるが、今ひとつ信じられないものがあった。しかしこうして体験した人から直接話を聞くと、疑う余地の無い事実であると感じられる。
Alfredは私のこうした興味を知って、自分の体験したことをいくつか語ってくれた。それらを次に記す。
「ある時、ダルシャンに赤子をつれた父親と一緒になった。この人はいつもダルシャンが始まると赤子を抱えて、スワミを呼んで叫んでいた。その赤子は心臓に穴が開いていて、手術が必要なのだがお金が無く手術を受けさせることが出来なかった。そんな訳でスワミにお願いしようとしているのであった。その時運の良いことにスワミがやってきてその子の頭に手をおいてから去って行った。その日以来その父親と赤子はダルシャンに出なくなった。あるときアルフレッドがその親子をアシュラムで見つけたので近寄って話を聞くと、スワミに頭を触れられた子供はすっかり治ってしまったとのことであった。確かに抱かれた子供は以前のような苦しそうな息をしていなかったそうである。」
「あるとき、ダルシャンで足に皮膚病のある人が座るようになった。アルフレッドが見たところ、それは化膿してただれており、空気にさらしているために、ハエがたかり、そのハエが周りを飛び回り非常に不潔な感じがしたとのことである。何回かダルシャンで顔をあわせることになったがそんなあるとき、スワミがダルシャンの際、立ち止まってビフーティを物質化して与えられた。その男は受け取るや否や、それを全部患部に押し当てた。周りの者達は勿体ないことをすると驚いたが、翌日、本人に会うと患部はほぼ治っていたとのことである。」
1995/1/3
帰国のため午後プッタパルティを発ち、バンガロールからマドラスへ向かった。その飛行機で、MartelとJennieと呼ぶ二人の中年オーストラリア婦人たちと乗り合わせた。その飛行機の中で、Martelは何故自分がスワミの帰依者になったか理由を語ってくれた。
「以前、彼女は家庭の問題で悩み離婚を考えていた。あるとき、彼女は亡くなった母親に助けて欲しいと祈った。その頃彼女は、5歳の息子と一緒に寝ていた。翌朝その息子が、彼女に、「昨夜寝ているとき、丸い大きな毛の頭をした人がお母さんの枕元で何かをしていたよ。」とびっくりして教えてくれた。しかし彼女はあまりにも特殊なヘアスタイルの為信じる気になれず、取り合わないでいた。しかしその翌日の朝も息子は同じことがあったと母親に伝えた。彼女は心配になり、息子を連れて関係ありそうなところを訪問して歩いた。あるとき、面会の為に待っていると、その部屋の壁に写真が掛けてあった。息子はその写真を見るなり、この人だと叫んだ。それはスワミの写真であった。その後の1年間にサイババの組織を調べ、そしてスワミの元へ来ることができた。その時のダルシャンでは女性の側で前列から2列目に座っていた。そこへスワミが来て、前の列の人に「あなたのお母さんはどこにいますか」と聞かれた。その女性は「あそこにいます」と指をさした。スワミはまた繰り返し同じ質問をされた。その女性もまた同じように答えた。するとスワミはMartelにも分かるような声で、「あなたの前にいるではないか」と呟かれてその場を去ったとのことである。Martelは、スワミが自分に伝える為に敢えてその女性に話しかけられたと信じていた。」
Jennieもスワミとのインタビューについて語ってくれた。
「彼女はスワミのインタビューを望んでいた。そんなあるとき、I will speak to you.と言うメッセージを心で聞いた。次の日インド人の家に招かれた。驚いたことに、そこへ行くとスワミがおられた。そこでスワミから2時間に亘って話を聞くことができた。スワミは彼女の過去と未来についても語った。死の時期も語られた。後でボンベイにあるアガスティアの預言書を調べに行ったらば、そこに同じことが書いてあったとのことである。Martelは次のインド訪問の機会には是非ともこのアガスティアの予言書を調べに行くといっていた。(アガスティアの預言書は偽物も多く、また十分に検証されているとは言いがたく、私は半信半疑でいる。スワミも預言書を見ることには賛成されていない。)」
二人はスワミに対して具体的な質問を心で念じると、必ず答えをくれると言う。またスワミの存在をどこでも実感するとのことであった。
1995/1/4
帰国の途上、シンガポールに着いた。時間があったので、母に電話を入れスワミのインタビューを受けた事を伝えた。その際スワミが「あなたのお母さんはあなたのことや、子供(Child)のことをいつも心配している、心配はいらない、私がお母さんを守っている」と言ったことを伝えるや、母は電話の向こうで感激して泣き出してしまった。ここで疑問に思っていた子供とは誰か、心当たりがあるのかと聞くと思いがけない答えが返ってきた。私達は終戦の翌年、満州から引き上げて来たが、その当時は食料や医療事情が極めて悪く、幼かった一歳の妹を亡くしてしまった。今、その当時の写真を見ると、広い草原のようなところで、母に抱かれたとてもかわいい赤ちゃんが写っている。母は今でも、この小さな子が死んだ後、一人で行くところへ行けたのだろうか、どこかで迷っていないかと心配していたとのことであった。そういえば毎朝仏壇にお参りしていたのはそのような理由もあったのかと思った。母親の子供に対する愛は、まさしく神の愛だとの思いを新たにした。
尚、私の訴訟関係については、その当時理解できないこともあったが、8年たった時点で振り返ると、インタビュー後の2月の時点で事態は変わり、その8年後に、完全に成功した。
1995/7/15
仕事でカルフォルニアのシリコンバレーに出張した。今日は土曜日で休みである。朝Alfredに電話するが留守番電話になっていた。その電話に向かって、今シリコンバレーにいること、もしColusaに行ったならばその話しを聞かせて貰いたい旨伝言する。そしてプールサイドへ行き、1時まで読書をした。帰ってくると部屋のメッセージランプが点滅していた。早速伝言を聞くと、Alfredからで、彼は「これからColusaへ行くところだ、もし12時から1時の間に電話してくれれば、ホテルに立ち寄って拾ってやる」とのことであった。時間を見ると1時5分過ぎであった。あわてて電話するとAlfredが電話に出た。訳を聞くと、彼は1時まで待っても電話がなかったので、出発したのだが、用事を思い出して戻ったら、丁度私の電話が鳴っていたとのことであった。その偶然に驚いた。
Colusaはシリコンバレーから車で4時間ほどかかるが、夕方5時から7時までバジャン会(インドの讃美歌を歌う会)があるとのことなので急いで拾ってもらった。
行って見て驚いた。そこは Ami Mangaruさんと言う普通のインド人家族の小さな家であった。奥さんはRamaさんと言い、年頃の娘さんが2人いた。スワミのもとにはまだ行ったことが無いとのことである。そこは小さな田舎の住宅地の一角である。しかし家の中に一歩入ると、そこは不思議な空間であった。まず玄関のホールの右側にスワミの等身大の写真が目に入った。その手からアムリタ(神聖な蜜)が流れ出て床に置いた入れ物に溜まっていた。更に進んで礼拝室に入るとその正面には、スワミやヒンズー教の神々の写真が飾られていた。そのスワミの写真はビフーティ(聖なる灰)に覆われてよく判別することができなかった。(資料2参照)その下に置かれたシバ神の写真やハヌマンやガネーシャの像にもビフーティが降りかかっていた。また部屋の左下には御足の写真が置かれていたが、アムリタに覆われていて、更にアムリタが写真から滴り落ちてその下に置かれた器に大量に溜まっていた。(資料2参照)これは後で参加者全員に小さなカップに入れて配られた。正面の右側には玉座があり、その上はビフーティが厚く積もっていたが、良く見るとオームの印が現れていた。(資料2参照)後ろの壁にはキリストとシルディババの写真が飾られていたが、この2枚の写真からも、アムリタが流れ出ていた。居間と寝室の通路に作り付けのクロセットがあった。そこにはスワミの写真が左右に2枚置かれていて、その前に大量のビフーティが堆積していた。これもバジャンの後に参加者全員に配られた。どうやら、アムリタもビフーティも配られて減ってもすぐに生成されるようだった。このクロセットの中央にコップが置かれており、蛇口も無いのに水があふれて流れ出ていた。(資料2参照)その水はジャーに導かれていて、希望する人には、ポットに入れて持ち帰ることができた。ここは全く不思議な空間だ。十畳ほどの礼拝室に60人ほどがすし詰めになって座り、バジャンを歌った。アムリタとビフーティを土産に貰い午後8時20分ごろAmi Mangaruさん宅を辞した。
1995/8/13
東京センターで比良氏に会った。比良氏は日本に帰化したインド人で、国内に140余もあるホテルのチェーンを所有する実業家であり、日印協会の事務局長(当時)であると共に、サイババの組織では、日本、韓国、台湾、オーストラリア等の地域を担当する世話人(当時)である。目黒にある地上3階、地下2階の自宅の地下部分を日本の組織(SSOJ)の東京センターとして提供している。比良氏の居間で、スワミとの因縁、翻訳のボランティアの希望などについて話した。通訳の牧野さんは翻訳のボランティアもされていて毎日4時起きだそうだ。彼は翻訳を行うにあたっては、シャワーを浴びて、身を清め、プジャルーム(礼拝室)で祈ることを日課にされているとのこと。その祈りの趣旨は「これからスワミの道具となって翻訳をします。正しい翻訳が出来るようお導きください。」というものである。最後に、比良氏は、3階にある比良氏個人の礼拝室で、スワミの写真に、お拝をさせてくれた。スワミに使えたい人にのみ、このように紹介するのだとのことであった。
1995/9/23
今日はスワミの70歳の記念祭が西山記念館であった。
開会の辞で、大阪サイセンターのガネーシャ像が昨日ミルクを飲んだことが毎日新聞に報じられたとの話があった。後でその場に居合わせた京都センターの有島さんから詳しく話を聞くことができた。ミルクをスプーンでガネーシャ像の口のところまで持ってゆくと、それを吸い上げたそうである。これはかなり長い時間続き、約2リットルも飲んだそうである。その際こぼれたミルクはその下にいるねずみの像まで流れ、そのねずみも流れてきたミルクを飲んだと言うのである。表面張力の作用する特別な条件では考えられなくも無いが、鋳造された像ではこのようなことは考えにくく、不思議な出来事であった。
来賓のPhillis Krystal女史がスピーチをした。その中で特に印象に残った話を簡単に記しておきたい。
「あるとき夫とインド旅行に行くことになり、機内で読む本を探しに本屋へ立ち寄った。本を探していると上の棚から本が落ちてきた。手にとって見るとスワミの本であった。面白くてすぐに読んでしまったが、この旅の目的地はカルカッタとニューデリーであった為、バンガロールへ回ることはできなかった。しかしこの旅の途中で胃痛で苦しんだ際、知り合ったスワミの帰依者からビブーティーを貰って飲んだところ、たちどころに胃痛が治ったので、更にスワミに対する興味が沸いてきた。その後、機会を待ってプッタパルティを訪れた。人格変容訓練(Transpersonal Practice)を指導している関係で、ダルシャンの際スワミが教えてくれるものは何でも従うと決意する。しかしダルシャンではスワミは彼女に目もくれずに通り過ぎた。彼女は実のところほっとした。と次の瞬間スワミは戻ってこられて、So you have come at last(とうとう来たね)と言われた。
ところで後になって、自分が行っている人格変容訓練でのメッセージは全てスワミが送ってくれていたものだと判った。だがこのときはそれが判らず、スワミの言われたSo you have come at lastと言う意味も判らないでいた。」
彼女は自分の行っている人格変容訓練の応用についても話した。
「先ずスワミと自分のハートが糸で結ばれていると想像する。そうして、手の平を上に向け、スワミから愛を吸い込み、自分の邪悪なものを吐き出すことを想像する。そして手を合わせて、スワミが自分を通してその愛を送らせることを想像する。」後でこれをみんなで練習した。
1995/11/23
今日はスワミのお生まれになった日である。東京センターで降誕祭が行われた。
大使館に勤務する山野辺さんのスピーチがあった。
「彼女が米国に滞在しているとき、自律神経失調症で大変苦労されたとのことである。この2年ほどの間、夢に男の人が頻繁に出てきて励ましてくれた。日本に戻っている間、暫くはなかったが、バーレーンに赴任した折にその男がまた夢に現れた。後でスワミの帰依者である友人がスワミの写真を見せてくれた。その姿はまさしく夢に現れたその人であった。1995年の2月にプッタパルティに行き、スワミにお会いしたが、涙が止まらなかったとのことであった。」
最後にバジャンを歌って閉会した後、スワミの玉座を見ると、その肘掛に置いた深紅のバラがあたかも、スワミがそこに腕を置かれたかのようにペチャンコになっていた。スワミはよく「バジャンの歌われるところに私は居ます」といわれるが、本当に来てくれたのだと皆で喜び合った。
1995/12/29
年末の休暇を利用してプッタパルティに来た。
真の自己について、まだはっきりしないことがあったので、手紙を書いた。その要点は下記のとおり。
Thank you very much for taking care of us and for your support for my son’s passing entrance examination to the university.
I vaguely understand that everything in the universe is an illusion that is created by my mind with Karma, and if my mind is destroyed, nothing exists as a reality except true myself. However, I do not have a strong feeling about it.
スワミは午後のバジャンの際、私の前を通ったが、手紙を持っているように手で合図して行ってしまった。しかしその帰りに、私を見て手紙を受け取ってくれた。小さく震える感覚があった。このバジャンでは、スワミは殆ど手紙を受け取らなかったので、私は幸運であった。
1995/12/31
Hislop博士の著書“My Baba and I“を読んでいると、227ページにMy mind creates my personal world と言う表現を発見した。続けて、スワミの返事が書いてあった。これは私の質問に対する答えだと確信した。
When the mind is destroyed and the world goes, God also has no existence.
私を取り巻く全ての世界は自分がスピリチュアルに成長するために、自分の心が創造したものである。したがって全てに意味があって貴重なのである。例え小さな花でも貴重であり、愛しいものである。それぞれが完全にその役割を果たしている。その意味では、善悪は本来存在しないのではないかと思う。
1996/1/2
バジャンでトルコのグループと隣り合わせた。このグループの責任者が去年のインタビューで起きた出来事をかいつまんで話してくれた。
「去年は6回もインタビューに呼ばれたそうである。そのインタビューには一人の奥さんが参加していた。この人は事故で足を切断してしまい、手術したがどうしても歩くことが出来なかった。インタビューの折、スワミはリンガムを空中から物質化して本人に渡し、それを水につけて毎日その水を飲むように指示した。早速その日からその水を飲んだら2日目には歩けるようになったとのことである。彼は話し終ると隣の男性を指差し、この人は彼女の夫だと言って紹介してくれた。その男は、うなずいて“全部本当の話だ、今回も彼女は参加している”と言った」。
「あるインタビューで、スワミは二人の大学生に指輪を物質化して与えた。彼らには兵役が控えていた。次のインタビューの折、ふたりは兵役があるので、指輪はつけられないとスワミに伝えると、分かってる、分かってると言われ、二つの指輪を手にとり、息を3回吹きかけた。そうすると二つの腕時計に変わっていたとのことである。」
1996/5/1
仕事の都合をつけて、ホワイトフィールドへ来た。この時期スワミはプッタパルティの暑さを避けて、ここの大学のキャンパスにおられる。朝のダルシャンで、スワミが近くに来られた折に、私の欠点を直して欲しいと祈った。するとチラッと私を見て微笑まれたような気がした。そしてスワミはそのまま行かれた。その際、例の小さく震える感覚があった。
午後たまたま買った本、”Sathya Sai Baba, incarnation philosophy and teaching“ を読んでいて、祈りの答えを貰ったような気がした。そこの158ページには次のように書いてあった。(文献6参照)
-Bring something into daily practice as evidence of your having known that secret of higher life from me.
-Speak with more sweetness and self-control, bear defeat as well as victory with calm resignation. I am always aware of the future, the past as well as present of every one of you.
読み返してみて、これは私の祈りにスワミが答えてくれたと実感した。そうすると、また例の小さく体が震える感覚がやってきた。さっそくスワミの写真に感謝のお祈りをすると、その感じは去っていった。
1996/5/3
前日に下記趣旨の手紙を書いた。スワミの意見を聞こうとするとき、このように具体的にYesまたはNoと答えられる形の質問を書き、もしスワミが受け取ってくれれば答えはYes、そうでなければNoの意思表示であると一般に言われているので、それに従ってみた。
Swami, please give me your direction if I should be deeply involved with SAS business by resigning the current job and join them.
以前”Present company is no good.”と言われたので、仕事を変えるべきかどうか手紙で質問した。
朝のダルシャンでは中央の2列目にすわることが出来た。スワミは女性の側から出て、男性のブロックへ移り、私のほうへ歩いてこられた。そこで笑顔で私を見て、それからまっすぐ私の前まで来られ、私の手紙を真っ先に受け取られた。こうしてスワミに見つめられていると、何か暖かいものを体に感じた。2万人前後の男女が集まっているときに、私の手紙をこうして受け取って下さるのは、確かに皆が言っているように、スワミの明白な意思表示であり、SAS社に転職することに同意されているという実感があった。この暖かいものはスワミの愛なのだとの思いに浸っていると強い例の震えがきて、それと共に涙が流れてきた。この震える感覚はいつもと違い、かなり長い間続いた。
1996/6/8
シリコンバレーに出張した。週末にAlfredと彼の友人のNeeruと3人でColusaのAmi & Rama Mangarue夫妻 の自宅を訪問した。
到着するとAmiさんから、ロスアンジェルスから英国のDr. Gadiaに引率されて、スワミの帰依者45人がバスでこちらに向かっていることを告げられた。
程なくして人々が到着し、Amiさんの家は人で一杯になった。礼拝室にすし詰め状態でバジャンが始まった。バジャンが中ほどまでくると、突然部屋の後ろのほうで人々が部屋を出て行く気配がして落ち着かなくなった。そうすると、Amiさんが後ろから、“今、隣室にスワミが現れたので、皆そちらに移動しています”と告げた。これを聞いて、Dr.Gadiaが“そのとおりです。スワミは隣室でビフーティを撒いてその上に足跡を残して行かれました”と見ていたように言った。続けて、“スワミはこの部屋の椅子にも腰掛けておられました。”と言った。すると部屋のあちこちで、自分も見たと言う人が大勢出てきて口々に話し出した。残念ながら私には見ることができなかった。すし詰めで足の置き場が悪く、気が散っていたせいであろうと思った。
バジャン後、隣の部屋の足跡にお拝をする為2人づつ組になって部屋に入った。部屋にはDr.Gadiaがいて解説してくれた。そこは寝室で、等身大のスワミの絵が飾られていて、その前に割れたココナッツと足跡が残されていた。スワミはこの写真から出てきて、ビフーティを撒き足跡を残して行かれたらしい。そこには足跡がくっきりと残っていた。また後で知ったことであるが、このDr.Gadiaは古くからのスワミの帰依者で、彼がバジャンに参加するところでは、しばしばスワミがこのように現れることで知られていた。その後、Nealが食事の際にAlfredと私に向かって、「あそこで足跡に向かって、お拝して顔を上げると、そこにスワミが立っておられた」とこともなげに話した。残念ながら、私達二人は特に何も感じなかった。
最後にDr.Gadiaが自分の体験について話してくれた。その要点は次の通り。
「あるとき、病の末期の人が担架でダルシャンに運び込まれた。スワミは彼女の目をじっと見た。そうしたら、彼女は完全に治ってしまった。」
「ある時、癌の女性患者がDr.Gadiaの友人の医師に付き添われてダルシャンに出席し、そしてインタビューの機会を得た。スワミは何が欲しいかと聞いた。彼女は健康が欲しいと答えた。スワミは、“病気は治してやるが、他に何が欲しい?”と重ねて聞いた。彼女は“スワミの愛が欲しいです”と答えた。するとスワミは手を回し指輪を物質化して彼女に与えた。またビフーティを物質化して与えて、“Your cancer has been cancelled” と言われた。」
「ある時、彼の属している英国のグループが17kドルの借金をしてお祭りを行った。借金を返す時が来たが、そのお金を都合できないでいた。そのようなとき、一人の老人がタクシーでセンターを訪ねてきて、一夜の宿を乞うた。余りにも年をとっている為、泊めて事故でも起きることを心配してホテルが断ったらしい。センターでは、皆で腕を抱えて下ろしてやって 落ち着いてもらった。食事を準備したが、コップ一杯のミルクだけ飲んだ。翌朝は、やはりミルクだけを飲んだ後、タクシーを呼んで欲しいと言われた。しかし行き先はドライバーに告げるといって明かさないで、出て行かれた。その後に、小さな包みが残されていた。開けてみると17kドルの札束が入っていた。」
Amiさんの弟さんも手伝いにきていた。次は彼の話。
「ある時、彼の息子が病気になった。そしてサクラメントの病院で手術を受けた。病院の請求書は34Kドルであった。工面してその代金を支払いに行き、コンピューターで確認すると既に誰かが支払った後で、残高80ドルを支払うだけで済んだ。」
次はNeeruの話。
「彼女は3年前にスワミを知った。それ以来毎日スワミのサンダル(パドゥーカと呼ばれ、金属で作られた礼拝用のもの)を水で磨いていた。そうすると、サンダルからアムリタが出るようになり、水洗い出来なくなった。またあるときは、皆と一緒にスワミのアシュラムへ行くことになったが、自分だけ都合が悪く行くことができなかった。そうしたら、自宅のガネーシャ像からアムリタが出た。きっとスワミが気の毒に思って、祝福のサインをくれたのだと思ったとのこと。」
1996/8/7
また米国出張の折にColusaへ出かける機会ができた。今回のメンバーはNitin、Neeru、Alfred そして私の4名であった。
会社の同僚であるNitinは、私がColusaへ行くことを聞いて、自分は今、心の平安を必要としているので、是非同行させて欲しいと言ってきたのだ。そこで、サイババのことを全く知らないのでは困るから、出かける土曜日までに、サイババに関連する本を一冊で良いから読んでおく様に勧めておいた。当日ホテルのロビーで会うと、彼は買った本についての不思議な体験を話してくれた。私にはもう不思議なことではないが、それは以下のような話だ。
「その本を読み出すと何故だか知らぬが、涙がこぼれる。また本をうっかり職場へ忘れた夜は、何だか不安でたまらなかった。――とこんな内容であった。後日談であるが、この本からアムリタが出るようになり、読めなくなったので新しく2冊買った。Nitinはその一冊を私にくれた。」(文献7)
私は、小さな額入りのスワミの写真を持参した。アミさんの弟さんに、これを帰りまでどこかにおいて欲しい、きっとビフーティが積もっていると思うからと言って渡した。彼は気持ちよく受け取って、ビフーティやアムリタ、また蛇口が無いのに水がコップからあふれ出る不思議な場所であるクロセットの棚の上にそっと置いてくれた。バジャンが終わって帰るときに、それを取り出してもらうと、予想どおりガラス面一杯に薄くビフーティが積もっていた。ここではもう誰もこの程度のことには驚かない。後日それをそっと日本に持って返り母に見せた。母は驚きの余り声が出せなかった。現在それは母の家に飾ってある。
帰路の車中でNitinは今日の体験を話してくれた。
「今夜のバジャンの中で、スワミのバジャンが始まると、体が震える不思議な感覚が襲ってきた。スワミのバジャンが続くと益々強くなったので、目を閉じた。そうするとスワミがNitinの義兄に何かをやっているイメージが見えた。そして、義兄が振り返りNitinと目が合ったとのこと。この義兄は自分が米国に移住する際、色々尽力してくれた恩人で、今は亡くなっているとのことであった。彼は大変心を動かされている様子で、また次週も来たいと言っていた。」
Neeruも色々な体験談を話した。特に記憶に残っているのは、紙にOM SaiRamと書くと、ジャスミンの香りがしてくる。これは多くの人も認めていると語ったことだ。
1996/8/22
昨夜は不思議な夢を見た。明るく輝く雲の中か上のような雰囲気のなかに居るのである。丁度浮かんでいるような感じで、至福に包まれていた。この状態を感じてから暫くして、これは現実なのだろうか夢なのだろうかと考え始めたら、ベッドの上に居る自分に気がついた。夢から覚めてもこの至福感は暫く続いていた。その夜は同じような夢を2度も見た。その都度、夢か現実かを確かめようとして目が覚めた。しかし至福感はしばらく続いた。不思議な夜であった。
1996/9/21-23
今日は福山でSSOJの全国大会が開かれた。前日までの台風がうそのように晴れ渡り青空に恵まれた3日間であった。この期間、東京では台風で大荒れだったと後で聞いた。
比良さんは準備で当日の朝4時に寝て6時に起きたそうである。起きてシャワーを浴びに浴室へ入ると、そこにスワミがおられたと話してくれた。
この様な大会にはいつもスワミが来たという印を残して行かれるそうであるが、今回は、玉座の足置きに置かれた菊の花が、あたかも足で押しつぶされた様になっているのが発見された。そっと手を当てると、軽い震えとも電気的刺激ともつかぬ感じがした。関係者に聞くとこのようなことは良くあるとのことだった。また会場内の色つきの砂で描かれた曼荼羅にスワミの足跡が残っていたそうであるが、これには気がつかないで帰ってしまった。後で、記念に砂絵の砂を少しもらった。
この大会のゲストスピーカーはインドの通信工学の大家であるDr.Sanpatであった。以下は彼の話。
「ある時、日本人の科学者をスワミに紹介した。当時彼は41歳、スワミは40歳、その科学者は60歳であった。スワミはこの科学者に彼が3歳のとき、命を助けてあげたと語った。その3歳の子は心臓の鼓動が止まり、父親がお寺に子供を抱いて走り、そこの仏像の足元において祈った。そうしたら心臓がまた動き出したそうである。科学者はそのことを大きくなって父親から聞いた。しかし母親には話してなかったそうである。したがってこのことを今知っている人は居ないはずであった。」
1996/9/28
Dr.Sanpatが東京センターでスピーチしてくれた。その要点は次の通り。
「ある集まりで、スワミは皆に”Dr.Sanpatは5年前に新しい命を与えられた。それは日本に“真理の大使”として行く為である” と言われたそうだ。そうして彼は今ここに来ている。
1994年、米国で大会があった際、ニューヨークの空港に向かって車を走らせていて、交差点で衝突しそうになった。彼と娘を含む同乗していた皆が、スワミに祈った。車は加速して衝突を避けようとしたが、後部をぶつけられた。しかし大事故は避けられ、皆に怪我は無かった。インドへ戻って、スワミに感謝したところ、スワミは微笑まれて、頭を触ってくれたとのことであった。」
1996/12/23
年末の休暇を利用してプッタパルティに来た。午後のダルシャンでスワミは下記の手紙を受け取ってくれた。(前文省略)
Swami, thank you very much for saving my life at Guam Island. I deeply thank you.
Swami, I wish to know if I should resign Synopsys and join SAS in August. Please give me your advice.
午後のダルシャンでスワミは手紙を受け取ってくれた。これは肯定を意味すると考えて、SASに転職を決めた。あとの問題はSynopsys社を退職する時期である。
ダルシャン後,東京センターの堀江(50才)さんと彼の友人である酒井さんの息子が相部屋のメンバーとして加わった。酒井さんは末期癌で余命が短いことを告げられているが、スワミはインタビューで癌を治したことが知られているので、堀江さんが勧めて連れてきたとのことであった。酒井さんに家族全員が付き添って来たので、息子さんは部屋に入りきれず堀江さんと一緒に私と同室することになったのである。是非、スワミのインタビューに招かれて、治癒してもらいたいと切に望んだ。すると心にスワミの存在を感じた。
1996/12/26
昨夜書いた下記趣旨の手紙を朝のダルシャンに持って行った。最前列に座ることができた。スワミはいつもと逆の方向から来られ、手紙を受け取って頂いた。願いが叶うと信じた。
Swami, I wish you to save my roommate’s friend who is seriously ill, and give him a longer life so he can enjoy your bliss.
1996/12/30
先日、広報の責任者であるRajan氏に、酒井さんの事情を話して、特別な席を用意してもらうことになっていた。しかし当日、彼らは言葉が通じず手違いで2列目にしか座れなかった。スワミは遠くから彼ら親子を見ただけで、そばに来たときには素通りしてしまわれた。私は大変残念に思ったが、ご当人はスワミの帰依者でない為か、余り気にせず淡々とされていた。その人達も今日帰った。
酒井さんの家族をお送りしてから、スワミに次の手紙を書いた。
Swami, it is not clear to me why you are saying, ”I am you” “You are Swami” Is it because you and I are both actors in my dream, true-self’s dream? Please give me more detailed understanding.
午後のダルシャンでは最前列に座ることができた。スワミはいつもと逆の方向から現れ、私の方に向き直り私を見て私に向かって歩いてこられ、一番始めに私の手紙を受け取られた。
その夜、比良氏が日本人帰依者の為に「真理」についてお話しされた。
この中で、米国証券取引所の責任者であるSinclair氏についての話がとても印象に残った。それは要約すると次のようなものである。
「ブラックマンデーの2日前、彼はイエス様に夜を徹してして株の暴落が一般の主婦たちに影響しないように祈っていた。そうすると、オレンジ色のローブを着た人が現れ、彼に次のように告げた。“Stock crush will not happen”
翌日、書店に行って主人にオレンジローブの人について尋ねると、それはサイババだと教えられた。そこで、その書店にあるサイババ 関連の本を全て買い求めて帰った。翌月曜日に株式市場が開かれ、株は下がったが、暴落は起きなかった。主婦たちの蓄えは救われたのである。
早速スワミのところへ駆けつける手配をし、その週の木曜日には、プッタパルティに着いた。ダルシャンに並んで座っているとスワミがまっすぐSinclair氏のところまで来られ、“Stock crush did not happen”と4回繰り返えされた。それからインタビューを与えられた。スワミは彼に、”あなたは、全力で人々を救おうと努力した。これは神の仕事である。あなたのイエスに対する真摯な祈りは私まで届いた。だから私はそれに応えた。“と言われた。」Sinclair氏は現在熱心なスワミの帰依者で、最近では、ホワイトフィールドの大きな病院の建設プロジェクトの責任者を任され、それを完成させた。
1997/1/1
午後のダルシャンでスワミを待っている間、 Joy Thomas女史の“Life is a dream, realize it”を読んでいると、191ページにスワミの御言葉が引用されていた。それが、私がスワミに質問したことの回答に思えてならなかった。改めて自分の言葉で表現してみると次の通りである。(文献9参照)
「真実は、自分以外は無であることである。自分以外にこの宇宙に存在するものは無い。この世は夢である。夢の舞台で、見た多くのもの、感じた多くの事柄は、夢から覚めれば、消えてしまう。これらは皆真実では無いのだ。夢から覚めれば、神の内在する自分しか居ないことに気づくだろう。実は神と自分は離れたものではない。これらは一つであり、無くなることも死ぬ事もないのだ。夢の舞台の登場人物もまた自分であり神である。」
ダルシャンが始まり、スワミがこちらへ向かってこられた。私は答えが見つかりました、ありがとうございますと心の中で申し上げると、例の震えが来た。それはスワミが近づくにつれて強くなり、遠ざかるにつれて弱くなり消えていった。全く不思議な感覚だった。
1997/1/3
比良氏の尽力で、朝のバジャンの後、日本人グループは全員でインタビューしてもらえることになった。インタビューでのお話の要点は、次の通り。
*神は皆の心の中に居るだけでなく、どこにも居ます。丁度電気の球があちこち光っているが、その中を流れる電流は一つであることに例えられます。
*悪い考えが起きたら、自分は猿ではなく、人間だと10回唱えなさい。
*良心に従いなさい、世俗の欲求に従ってはなりません。
*悪いものを見たり考えたりすることは、エネルギーの無駄遣いです。
*思い、行動、ハートを愛で満たしなさい。愛ある所に神が居ます。
私は最前列にいた。周りの者は、スワミに話しかけられた。私には話しかけられなかったが、帰るときに頭を軽く触って頂いた。私は右手で、パドナマスカールをした。
在日インド人のDayal氏はいつもインタビュー室前の、VIPコーナーに席を与えられている。彼が、数日前に目撃したことを話してくれた。
「インタビューに車椅子の少年が呼ばれた。しかし終わって出てくるとき、彼は至福の表情で歩いてインタビュー室を出てきた。歩行障害は治っていた。後で聞いたところ彼には心身障害もあり、スワミは10日以内に治癒すると言われたそうである。」
1997/2/14
世話人の会議で東京センターに行った折、堀江さんに会ったので、酒井さんの具合を聞いてみた。驚いたことに、帰国して検査したところ癌が消えてしまったようだ。酒井さんはそれが信じられず、色々病院を替えて検査を続けているが、いずれも癌は確認されてないとのことである。また酒井さんが買ってきて家に飾ってあるスワミの絵の手の部分からアムリタが出たそうである。ダルシャンに出ただけで、念願のスワミのインタビューを受けることができなかったにも拘わらず、帰国したら癌が消えていたと言うことである。私はこの一部始終を見ていた。これは衝撃的な出来事であった。しかし医者たちは、自然治癒の一例としてしか考えないだろう。
因みに、酒井さんはこうして医者めぐりをしていたが、1997年の暮れになってようやく納得し、全快祝いをしたそうである。
1997/4/19
東京センターのスタッフ数人と心身障害児施設へ奉仕に行った。終わって、ロビーで雑談をした。以下は各自の体験談。
「中年女性の大谷さんは、スワミの夢を2度続けて見た。スワミがもっと一生懸命勉強せよと言う声を聞いたことがある。またスワミのことを思うと、よくジャスミンの香りがしてくるとのこと。こう話しながら、“ほらしてきたでしょう”と皆に聞いた。皆も気がついて、驚いてうなずいた。私ははっきり感じなかったが、代わりに例の震えが来て、スワミの存在を感じることができた。」
「初老の女性の川村さんは、ある時、バッグ、財布、時計からビフーティが一杯出たことがあるという。“まだ残っているかな?”そう言いながら、ここでバッグの底を指でなぞると、ビフーティが手についてきた。またある時、線香の灰がハート形に残ったとのこと。」
「大谷さんはあるとき、話をしている相手がスワミの顔に変わったことがあると語った。」(後にNitinも同じようなことを体験した。)
「中年女性の若林さんは昨年暮れ、東京センターのインド旅行に参加できず残念に思っていた。ある夜、スワミの右足、ついで左足にパドナマスカール(聖者の対する最上級の敬意を示す挨拶の作法)をしている夢をみた。皆が帰国して話を聞くと、丁度その時は、日本人グループがスワミのパドナマスカールを頂いた時期と重なっていた。」
1997/6/14
仕事でシリコンバレーに出張した。週末に会社の同僚Nitinと,彼の義理の母、同じく会社の同僚の女性技術者でカルフォルニア大学の講師でもあるスジャータの4人でColusaのAmiさんの家を訪問した。車で帰路の途中、スジャータが彼女の初体験を語った。
彼女はバジャンシンガーでもあったので、前列に座らされた。バジャンが始まると彼女の前に置かれた写真の中のスワミの手、口、目が動いた、さらにリズムに合わせて、手を動かしたとのことである。彼女はスワミの帰依者ではないので、自分の目で見たことが信じられず、こんなことってあるのだろうかとしきりに考え込んでいた。私は自宅でスワミの写真を前に置いて坐禅をしていると、よくこのような現象を体験するので、もはや不思議でも何でもなかった。一日置いて、月曜の朝、会社でスジャータに会った。すると待っていたかのように興奮して前日に起きたことを語ってくれた。それは、彼女が日曜の朝、目が覚めると寝室の天井に直径60-80cmもあるオームの印が太陽光線によって投影されていたとのこと。彼女は、このような現象が現実に身の回りに起きることが信じられず、興奮していた。私は物理学で証明できることなど、自分たちの周りで起きていることの一部に過ぎないことを実感している。この世は、考えられることの全てが現れる世界である。それぞれが物理的に証明されるのは少し時間がかかるだろうが、それもいずれ証明される(理由付けられる)世界なのだ。現象の発生(結果)には原因がある。原因と結果の間には、それを関連付けるものがある。これを知ることが物理学での証明なのだろう。
このころからNitinは人を見るとスワミが重なって見えると言うようになった。私を見ても、私の前に透かしてスワミが見えると言う。彼もまたスワミの帰依者でないため、このような現象が自分に起きることについて全く理解できないでいる。これが自分にとって良いことなのか悪いことなのか判らず、ただ心配している。私は、「これらは皆スワミが守っていると言う良いサインだから心配するな」と言って安心させた。
1997/7/13-19
SSOの世界青年大会で、スワミの講話に関連したテーマについて、アジア地域の各国のスピーカーが講演することになった。私は日本を代表し「社会における奉仕の役割」についてスワミの講話集を調べて講演するよう要請を受けて、ここへ来た。この大会の期間,スワミの講話、著名な帰依者による講演、ワークショップ、夜の文化祭等多彩な催しが続いた。
各国のスピーカーによる講演は、17日であった。当日は講堂に各国の青年たちが15000人ほど集まった。私は講演の数日前に時間の制約から原稿を半分に削った為に、十分な準備ができず余り良い出来ではなかった。しかし良い経験であった。その講演原稿は添付のとおり。(資料3参照)
小栗さんから興味深い話を聞いた。
「ある外国人が癌になり、治癒の祈りを書いた手紙を持って、ダルシャンに座っていたが、スワミは受け取ってくれなかった。失望して帰国したが、帰って手紙を読み直してみると、手紙の文章の”now cancer” が“no cancer”に変わっていた。彼は言うまでもなく元気になったとのこと。」
同室の清野さんも珍しい体験をしていた。
「彼が冬にジョギングをしていたら、頭上の雲が、スワミが祝福をしている形になっていたとのこと。多分イギリスで表れた現象と同じようなものだったのではないかと想像する。」(資料4参照)
1997/9/15
バンガロールの会社の近くに地域のサイセンターを見つけたので、通勤の途中で、タクシーを止めて立ち寄った。入り口の敷居をまたぐや否や、強い例の震えが来た。それはホールを横切ってお拝をして座るまで続いた。ここでもスワミの存在を強く感じた。
1997/9/22
今日はパドゥーガプジャのお祭りのため、スワミの御講話があった。聞き取れたところの要約は下記のとおり。
*献身(帰依)は神(神聖)への道です。
*神は生死の問題からあなたを解放します。
*インドの文化は愛の文化であるので、神がインドを守ります。
*文化とは日々の繰り返しの生活で実践されるものを言います。
*心の文化は永遠の原理を与えます。
*あなたは神に任せて執着してないと言うが、自分を犠牲にしていません。自分を犠牲にすることこそ大切です。
*心からの崇拝が大切です。
*ハートがあなたのテンプル(寺)です。
*人に悪を見てはなりません。なんとなれば、全ては神だから。
*悪いことをしてはなりません。良いことをしなさい。
*全てのものは、ブラフマン(創造の神)の幻影です。
1997/9/23
今日はパドゥーガプジャのお祭りの当日で、スワミの講話があった。
聞き取れた話の要約は下記のとおり。
*宇宙的愛を得ようとするならば、自我を放棄せねばなりません。
*怒りを持った人は、評判を落とします。心を開放し、スピリチュアルな愛で満たしなさい。水で満たされたコップにはミルクを入れることができません。
*真理はひとつだが多様な姿で現れます。
*体はChariot(馬車)、神は御者です。
*ハートを神聖な愛で満たしなさい。心を制御し、ハートに愛を育てなさい。
*神に仕える最良の方法は、“Love All, Serve All(皆を愛せ、皆に奉仕せよ)”奉仕がもっとも大切です。
*神の宇宙における姿は人間そのものです。
“Unity-Purity-Divinity”“Discipline-Devotion-Duty”(一体性―純粋性―神性、規律―帰依心―義務)
1997/10/16
今日は東京センターでSri Nivasam氏のスピーチがあった。彼は組織の中央基金の役員であるとともに、マドラス にある大きな企業の代表者でもある。米国出張の途中で立ち寄ったとのことである。
彼の演題は奉仕であった。驚いたことに、“Unity-Purity-Divinity”についての話がその中心であった。実は私は翌々日の18日と19日にかけて開かれるサーダナキャンプ(合宿研修会)で奉仕について話すよう頼まれており、その内容について”Unity-Purity-Divinity“を考えていたところであった。そこでスピーチ後に比良氏の自宅で開かれた歓迎の宴席で、Sri Nivasam氏になぜ今日のスピーチのテーマに奉仕を選んだか質問してみた。彼は「ここに来るまで特に何を話すか考えていなかった。ただスピーチが口からついて出たのだ。これはまさにスワミのご意思としか思えない。」と言われた。彼はただスワミの道具として行動したにすぎないと言うことなのであろう。私にとっては、サーダナキャンプでのスピーチに思い悩む私に、スワミがSri Nivasam氏を通じてアイデアをくれたように思えた。
1997/10/18-19
国立青年の家でサーダナキャンプが行われた。私は奉仕担当として話をした。都合があって19日の昼に帰路についたが、そこでビムラ女史と一緒になった。彼女は横浜のフエリス女学院で教師をしている関係で教育(EHV、人間の5大価値についての教育)についての分科会を司会してスピーチをした人である。帰りの車中で今回のスピーチに関し面白い話をしてくれた。その概要を以下に記す。
「彼女はEHV分科会を司会するように事前に頼まれていたが、前日は気分が優れず、薬を飲んだところ眠り込んでしまい、分科会でのスピーチは全く準備が出来ないまま参加した。そして、分科会の開かれる部屋に入ると、演壇にスワミの写真があることに気がついた。そこで身に着けていたスカーフを取り、その上にスワミの写真をそっと安置し、そして次のように祈った。
“スワミ、私は色々な問題があって、今日のスピーチの準備ができませんでした。しかしこれもスワミがご計画されたことだと信じます。そこで,この度はあなたにスピーチして頂きたいのです。どうか私を通してお話ください”。
このようにお祈りした後、スピーチを始めた。全く準備していなかったにも拘わらず、すばらしいスピーチをすることができた」。
ビムラ女史はスワミが彼女の口を道具として使ったのであって、スピーチをしたのはスワミであったと確信していた。
16日にSri Nivasam氏から、また今日はビムラ女史から全く同じ趣旨の話を聞いて、はっと気がついた。私が以前プッタパルティで青年に向けてスピーチをした際、思わぬ失敗をしてしまったことを。米国系の企業で鍛えられ、プレゼンテーションについては、少なからず自信があったが、直前になって原稿を大幅に削減したことに加え、1万人を超える大群衆を前にして上がってしまった為、うまく話が出来なかった。あの時には、ビムラ女史のようにスワミに全部を投げ出してお願いしていなかった。私は単なる道具として、スワミがこの口を使ってスピーチして欲しいと祈るべきであったのだ。
1997/11/24
今日は3連休の最終日であったが、仕事で奈良まで出張した。仕事を終えて京都まで来ると、新幹線のラッシュと重なってしまった。指定席がとれなかったので、立ち席で乗り込んだが、混雑していて立っているのも容易ではなかった。思い立ってグリーン車に移ると、たまたま一つだけ席が空いていた。予約している人が来たらそのときは立とうと思って、取りあえずそこに座った。列車は混雑のためドアが閉められず、7分も遅れて出発した。しかし、その後、予約者は現れず快適な列車の旅となった。この「ひかり号」は特別に小田原に停車したので、そこで小田急線に乗り換えることにして下車した。そこで待っていたのはあしがら号と言う特急で、5分後に出発するとのこと、急いで乗り込んだ。偶然であるが、「あしがら」と言う名前には思い当たるものがあった。同名のホームレスの人が新宿郵便局の前にいつもいる。年齢は不詳であるが、相当に弱っていて小便を垂れ流している。私は新宿を通る度に、近くのコンビニで食料を買って渡していた。そんな訳で、これは偶然なのか、それとも何かの因縁がもたらしたものなのか、ふと考えた。ともあれ結果的には、大混雑の中、快適に、しかも通常の新横浜経由に比べてはるかに早く家に帰りつくことができた。
1997/12/25
年末の休暇を利用してプッタパルティに来た。
今日はクリスマスの御講話がホールで午後4:30より行われた。くじで良い席が当たった。聞き取れた部分の要約は次の通り。
*神を信じることは大切です。
*母は4人、真理(Sachya)の母、義務(Darma)の母、愛(Prema)の母、平安(Shanthi)の母。
*心に純粋さがあると、一体感を感じる、そうすると人は神に近づきます。
*私心の無い奉仕活動が最も重要です。神は愛です、愛に生きなさい。
真島さんがバジャンでのエピソードを語ってくれた。
「彼が花を持っていると、スワミがそのまま通り過ぎてしまわれた。あわてて“スワミどうかこの花をお受け取り下さい”と心の中で祈った。そうすると、スワミは立ち止まって、向きを変えて戻ってこられて、花にそっと手を触れられ戻って行かれた。その花はバジャンが終わって、スワミが自室に戻られるまで首を振っていたとのこと。」
1998/1/1
今日は新年の御講話があったが、通訳のAnil Kumar教授の発音は判りにくく、あまり聞き取れなかった。聞き取れた部分の要約は以下の通り。
*私たちがこの世に生をうけた目的
*愛は神、神は愛。
*自我の無い奉仕活動は修行そのものです。
*すべての瞬間が新しい自分の誕生なのです。
1998/3/7
SSOJの評議会が横浜で開かれた。会議が終わって、横浜センターの会長であるサドワニさんと雑談した。その折、彼は次のような体験を語ってくれた。
「最近彼はインドで交通事故に巻き込まれた。交差点で、右折するバスに道を譲るため停車したとたん、後ろから40トントラックに追突された。乗っていた車の後部座席まで完全につぶされてしまったが、自分は全く無傷ですんだ。現場の警察官もこの事実を理解できないと言っていた。自分では、胸に入れていたスワミの写真が自分を救ってくれたと信じているとのことであった。」
家に帰って本を読んでいると、次のスワミの御講話の一節が眼に留まった。
「あなたが何処に行こうとも、義務であると思うことをしなさい。そして何処に行こうとも、私が確かにあなたの内にいて、あなたの歩む一歩一歩を導いているのだと言うことを知っていなさい。来るべき時期に、あなたは様々な姿で顕現する私を体験することになるでしょう。あなたは私のものであり、私自身より愛しいものです。瞼が目を守るように、私はあなたを守ります。私は決してあなたから離れることはなく、あなたも決して私から離れることはできません。この観点から見て、何物も切望してはなりません。ゆらぐことのない愛を持ち、全てのものを神と見ながら、あなたの義務を行いなさい。辛抱していなさい、時が来ればすべてあなたに与えられるでしょう。幸せでいなさい。何事に対しても、心配する必要はありません。
あなたが何を体験しようとも、どんなことが起ころうとも、それはこのアバター(神の化身)が意志したからであることを知っていなさい。このアバターが来たからには、この地球上にその使命を一瞬たりとも遅らせることのできる力は存在しません。あなたたちは皆、神聖な魂たちであり、近づきつつある黄金の新時代に、その繰り広げられるドラマの中で、それぞれの役割を演じることになるのです」。
1998/3/29
出張の帰途プッタパルティに立ち寄った。
今日はインドの正月のためアシュラムは混雑していたが、VIP席の2列目に座ることができた。ダルシャンではスワミは列の後ろを回られたので諦めていたら、向きを変えて正面に来られ、私の手紙だけ受け取ってくれた。その手紙の要点は以下の通り医療奉仕に関するものであった。
Swami, I have not been able to find enough doctors of internalist to start Sri Sathya Sai Clinic. Please help me to find doctors and give me a power to successfully organize it.
午後はスワミのご講話があった。その要点は下記の通り。
*スワミの神聖な力は人間皆に潜在しているものである。しかし人間は自分の内に内在する神性を全く忘れてしまっています。
*神にすべてを委ねなさい、そして執着を離れなさい。悩みの元である欲求を捨てなさい。
*全ての悩みは精神的なものです。過度の思考、多すぎる欲求が悩みの原因です。心を制御しなさい。
*作用あれば反作用があります。机を叩くと痛みが走ります。痛みは反作用です。反作用はすぐに起こる場合もあれば、何年もかかる場合もあります。
*幸福とは神と一体であることを自覚することです。
*私は幸せを与える準備ができていますが、皆さんはその準備ができていません。私は皆さんが理想的な生活を送ることを期待しています。
1998/5/9
お釈迦様の誕生を祝う仏教徒のお祭りが行われるので、仕事の都合をつけて5月7日よりホワイトフィールドに来ている。
比良さんから依頼されて、仏教徒を対象にしたセミナーで、“Zen as a spiritual sadhana(スピリチュアルな修行としての坐禅)”と言う題でスワミの教えを禅に関連付けて話した。
午後のダルシャンでは一番前のブロックに座ることができた。スワミは正面のステージから何度もこちらを見ておられたが歩いては来られなかった。例の震えを感じた。
1998/5/10
朝のダルシャンで一番前のブロックに座ることができた。スワミは1メートル先まで来られ何度も私を見られ、私は例の震えを感じたが、手紙を受け取ってもらうことは出来なかった。その手紙はお金に関するものであった。過去にもそうであったが、お金に関する手紙は全く受け取って頂けない。
午後、スワミの御講話があった。通訳はNarashimahan Murti氏だったので、よく理解できた。その要点は下記の通り。
*多くの求道者は本を通してブラフマン(真の自己)の知識を得ようとしているが、本から得られる知識は本当の英知ではありません。本から英知を求めることは根拠の無いことです。英知は自分の内にあるのに、外を探すことは全く間違っています。
仏陀は26年間も経典を学んだ後、本からの知識は真実を教えてくれないと知りました。英知はそこには無いのです。そこで彼は社会に出てそこで修行をしました。苦行をすれども、英知に到達することは出来ませんでした。
*瞑想で、あなた方は至福に到達することは出来ません。至福は外側には無いのですから。
*人間の身体は発電機のようなものです。パワーはハートにあるのです。
* 悪い考えを抱いてはなりません。なぜなら、それがあなたのハートに刻印されるから。
* 神聖なものを見なさい。創造(現象界)はビジョンに左右されます。だから良いビジョンを抱きなさい。
* ハートに刻印された悪い考えは消すことが出来ません。
* 友達を持ちなさい。悪い友でなく良い友を持ちなさい。良い友とはどんな時でも友です。
*実践は重要です。永遠のものに集中しなさい。変わらないものが神なのです。実践の無い学習は無駄なことです。
*肉体は泡のように一時的なものです。その真実を理解しなさい。そうすれば平安が得られます。一体感と幸せが神です。幸せは自分が作るもので、外部の人から手に入れるものではありません。
*今日、人は話すだけで実践しません。だから人は悲しむのです。
*神は外の世界にいるのではありません。心を清め、神の心で、神の御姿を思いなさい。
*良い話をし、甘く話しかけるようにしなさい。嘘を言ってはいけません。真実を語りなさい。
*どの宗教も真実は神であると教えています。内なる心に話しなさい、不幸なことに皆外に向かって話しています。神は皆の心にいます。神聖な感覚を育てなさい。悪い性質を捨てて、良い性質を育てなさい。頭と肉体に従ってはなりません。己の良心に従いなさい。これが至福に至る王道です。
悪を見ない。良いものを見る。
悪を聞かない。良いことを聞く。
悪を語らない。良いことを語る。
愛の化身である皆さん。
愛は神です。神は愛です。
*私たちは愛さなければなりません。愛すれば敵はいなくなります、皆兄弟姉妹と違いがありません。皆あなた自身です。ですから怒りがありません。実践を通して、このことを悟りなさい。
*もしハートが神なら、外にも反映します。いつも甘く語りなさい。ハートを正しく変容しなさい。愛がそこに至る唯一つの道です。
1998/9/13
第7回SSOJ全国大会が昨日から始まった。私はスワミの使いとして来日したインド物理学会の元会長Dr. Ganesh Venkataramanのお世話係を命じられた。
Dr.Venkataramanの講演で、彼が直接体験したスワミのエピソードが披露された。その要約は下記の通り。
「一人のギリシャの女性がボスニアを訪問して、ホームレスに食事を配る奉仕活動をした。その包みの中にスワミの写真を入れて配ったところ、一人のホームレスが、“この人はよくここに来て食事を配ってくれているよ”と言ったので、当の女性はびっくりしてしまった。」
「あるインド人の老婦人は3人の子持ちであった。ある時、心臓麻痺にあった。彼女は死に直面し、サイラム サイラムとスワミに祈った。丁度その時、スワミはプッタパルティにおられて、ダルシャンの最中であった。スワミは突然止まって、手を横に伸ばして、水平に波打たせるゼスチュアをされた。その時、女性は心臓麻痺から回復した。スワミは代わりに病気を引き受けて、しばらく具合が悪かった。その後スワミはインタビューにその女性を呼んで、この事実を明らかにした。その時、スワミは相変わらず心臓麻痺の後遺症に苦しんでおられた。後になって、スワミは“その日の9時20分に老婦人がマドラスで死にかけていた。そしてスワミに救いを求めたので、私が行って助けた。”と皆に話した。」
「3年前ニュージーランドで全国大会が開かれた際にスピーチをした時のことである。ステージ脇で写真を撮ろうと待ち構えていた人が、Dr.Venkataramanの後ろの写真からスワミが出てこられ、脇に立っているのを見た。その男が写真を撮ろうとするとスワミは消えてしまった。Dr.Venkataramanは自分の後ろで起こったことなので気がつかなかったとのこと。」
「8年前に大学であったことである。ダルシャンを与えていると一人の学生が手紙を差し出した。スワミはそれを受け取ると、自分の部屋に行かれて、すぐに戻って来られた。そしてすぐにその学生を呼び出した。学生は、叱られるかと思い、すぐさまお詫びをした。そうしたら、謝ることはない“1ルピーは100万ルピーにも値する。愛のある1ルピーは愛のない100万ルピーにまさる”と言われた。その手紙には“スワミ、私は将来医者になって、人々を救いたい。もし私が裕福ならば、沢山寄付できるのですが、今は学生の身ですので、私は愛を込めて、ただの100ルピーしか寄付することが出来ません。どうぞ怒らずにお受けください”とあったとのこと。」
福井の精神科医の五十嵐先生が坐禅の体験について話をされた。
「彼は福井のお寺で接心を終えたとき、正面の山が自分と一つになった感覚が強くした。また近くの花に目をやると花も自分自身であると気がついたとのこと。」私は、彼がそのとき、見性を体験したのだと確信した。
関西の姫井さんは瞑想体験について話をされた。
「彼女はほんの2-3分しか経っていないと思ったが、実際には3時間経っていた。この時は神との一体感に包まれたひと時であったとのこと。」
二人とも実体験に基づいたすばらしい話であった。
1998/12/25
12/23からプッタパルティに来ている。今日はクリスマスなので、御講話があった。Anil Kumar教授の通訳のため、殆ど理解できない。辛うじて聞き取れた所は下記の通り。
*人間は皆神の使いです。だから社会のために奉仕活動をしなさい。
*肉体は老化して亡くなるつかの間のものです。丁度水に浮かんだ泡のようなものです。一方、神は真理の化身で、変化しません。
*皆は神と一つです。神の特性(メッセージ)は真理、平安、愛、義務、非暴力です。
*人として生まれた使命はそのメッセージを広めることです。
*真の幸せは、精神の平安であって、肉体や頭脳に関連したものではありません。肉体的な幸せは、移り行く雲のようなものです。
*犠牲は人間の主要な特性です。神のメッセージを広めるために、肉体を犠牲にする準備をしなさい。
その夜、Grace Mc Martin女史の“Recapitulation Of Baba’s Devine Teaching”の107ページ”を読んでいると重要なスワミの言葉に出会った。以下はその要約である。(文献11参照)
「変えることの出来ない、超越的な宇宙に偏在する宇宙の絶対者が単に存在している状態から、創造主になると決心したとき、それは全能の人、または神と呼ばれるのが最もふさわしい。唯一の存在の上に幻の多様性を重畳する創造行為にも拘わらず、神は一つであり続けます。この幻影は神の意思です。この意思により、宇宙の創造が新しく始められました。――私は一つです。私は多となります。
この幻影はあらゆる存在物とそのあらゆる活動に含まれています。それは3つのモードとその意志の3つのモードを通して3つの成果の側面を持っています。それらは、静かで満足した落ち着きのあるモード、力強く、情熱的なモード、無気力で無精でのろまなモードです。これらが、宇宙の全能者がそれ自身を表現する原始の欲望に突き動かされたときにとる基本的なモードです。これまで各国の哲学者は神、現象界、人間に関する真理とそれらの関係について発見しようと捜し求めてきました。幻影がこれら三つを引き起こす意志なのです。これはひび割れの無い透明な鏡です。その意志または鏡に純粋な性質が映されたときには神が生じます。情熱的な性質が映されたときは個別の自己が生じます。その意志に無精な性質が映し出されたとき、物、すなわち客観界(現象界)が生じます。これら三つは大いなる自己(Overself)です。神、自然、この自己は全て幻影と言う鏡に映った大いなる自己の三つのイメージなのです。一つのものを多とするのは鏡なのです。しかし一つのものは一つなのです。幻影はこれらを存在させ、そして因果の連鎖をスタートします。それではいつ幻影は終わるのでしょうか。客観界が無視されるか、脇に置かれるか、否定されるか、神(Devine)と共にあることが分かったとき、個々の魂はもはや存在せず、神(God)は無用なものとして消え去ります。そして神(God)が姿を消すと、宇宙の絶対者だけが残ります。個別の神、個々の魂と呼ばれる他から離れた個性と、自然または客観界と呼ばれるその個人の頭での創造物が人の進んだ意識に存在しなくなったとき、幻影と言うこれら三つの創造者は存続することが出来ません。」
1998/12/27
午後9:30に部屋をノックする者がいて、開けてみると比良氏の下でトイレの改善プロジェクトを手伝っているマヘーシュの事務所のダルシャンであった。彼は私の友人のDr.Sherlekarから伝言があり、私の母が病気だと娘が伝えてきたとのこと。普段は出来ないことであるが、今回は比良氏がマヘーシュのところにある電話を私用に使って良いと言ってくださったので、連絡先をDr.Sherlekarに伝えておいたのは不幸中の幸いであった。
1998/12/28
朝を待って妻に電話をすると、母の鼻の静脈が破れ、出血が止まらなかったので、近所の人たちが救急車で日本医大病院へ運び込んでくれた。今は出血が止まり、自宅で静養しているとのこと。会社に常駐する旅行社のパレシュさんに事情を言うとANA(全日空)と交渉してくれて、変更できない格安航空券だが特別扱いで1月1日の便に変更してくれた。しかし至急古い航空券が必要とのことなので、門外に出てProfessional Courierと言う宅急便でバンガロールの事務所まで送る手配をした。予定では29日の午前中に届くとのこと。
その晩からひどい吐き気と下痢に併せて頭痛と寒気に悩まされる。30分間隔でトイレを往復しなければならなかった。
1998/12/29
吐き気はどうにかおさまったが、頭痛と下痢がとまらない。
午後にどうにかマヘーシュさんの事務所まで歩いて行くことが出来た。しかし交換機が壊れていてバンガロールに電話することが出来なかった。仕方なくアシュラムの電話ボックスに並んでそこからDr.Sherlekarに電話すると、彼は運良くそこに居た。しかしパレシュさんはまだ切符を受け取っていないと言う。そこでパレシュさんに詳細を伝えて探してもらうことにした。後でわかったことであるが、その夜パレッシュさんはProfessional Courier の事務所へ行き、配達先不明の箱から私のメールを探し出したとのこと。私が宛先の会社名を記入するのを忘れた上、間違った住所を記載した為に、配達できなかったとのことである。私も体調不良で気が動転していたのだろう。
1998/12/30
朝には頭痛は治まったが軽い腹部の痛みとひどい下痢が止まらない。相変わらず30分おきにトイレに走らざるを得ない。マヘーシュさんがバンガロールへ比良氏から頼まれた情報を取りに行って帰ってきた。私の状況をみて、下痢に効くという木の葉を持ってきてくれた。しかしあまり状況に変化は無かった。私の話を横で聞いていた私の棟のボランティアのチンモイさんが、たまたま医者が隣の棟のボランティアをしているから、連れて行ってやると言ってくれた。その医師はホーメオペシー専門の医師で、私を見て、症状を聞くと、「心配ない午後には治るよ」と言ってさらさらと処方箋を書いてくれた。私は半信半疑であったが、チンモイさんが探し回って買い求めてくれた薬を飲んだところ、徐々に下痢が収まり午後には治ってしまった。しかし相変わらず軽い腹痛は続いていた。
1998/12/31
朝のダルシャンを終えて、8時に、迎えのマヌーさんのタクシーが待っているはずの出口に行くとそこにタクシーは来ていなかった。少し待ったが現れないので他のタクシーと交渉していると、マヌーさんが現れた。ここは駐車禁止だったので、遠くはなれた所に駐車して、混雑の中を、私を探し回っていたようだ。こうして何とかバンガロールの会社に着き、その後Dr.Sherlekarの自宅で昼食をとることにして、マヌーさんを1時30分に戻るよう指示して解放した。Dr.Sherlekarは今の腹痛の原因は食事をしていないためだと言って、軽い食事を準備してくれた。ヤギのバターをかけたご飯とりんごを食べると腹痛は治まった。そこへパレシュさんが電話をしてきた。予定していたJet Airのフライトがキャンセルになったので、1時45分発のIndian Airに変更するようにとの緊急連絡であった。早速空港へ行くが、荷物はマヌーさんの車にあって、彼と連絡がつかない。またIndian Airのカウンターは変更手配をする人々で込み合っていてうまく席がとれるか不安であったが、Dr.Sherlekarとパレシュさんが何とか手配をしてくれた。マヌーさんと連絡がとれて彼が荷物を持って駆けつけたのは丁度出発ゲートが開いた午後1時40分であった。
こうして幾多のトラブルに見舞われた旅であったが、その都度誰かに助けられて日本に向けて出国することが出来た。ここでお世話になった人々の名前を記し感謝したい。
母の病の連絡_Sherlekar, Mahesh
私の病気_Mahesh, Chinmoy, Sherklekar, Venkatesh
切符手配_Mahesh, Sherlekar
乗り継ぎ便変更―Mahesh, Sherlekar
荷物の配送_Sherlekar, Manu
1999/1/1
正午には母の家に到着した。母はベッドにいたが元気にしていた。午後には完全に回復してベッドを出た。年末に、妻と娘が手伝って後片付けをしてくれたらしい。
1999/1/3
母は朝から咳をして、吐き気があって食事を受け付けない。熱も38.5度あり流感の症状。矢島先生に往診を頼むと正月休みでも来てくれた。
1999/1/4
母は回復してきた、しかしまだ食欲は弱く軽い朝食をとった後、ベッドに入る。私は仕事が気になるので11時に会社へ行くため家を出て、Eメールを整理して午後2:30に戻った。すると母が興奮した口調でサイババが現れたと言う。ベッドで横になっていると、小柄で頭が毛で丸く覆われオレンジ色のローブを着た人が自分の湯飲みを両手に持って1メートルほど前に現れた。これはサイババに違いないとのこと。
そこでサイババの写真を隣室から持ってきて見せると、この人に間違いない、ただ違いは湯飲みを持っていたことだと言って、感謝の涙をこぼしていた。この母の話を聞いていると例の震えを感じた。感謝のお拝をするため、写真のある隣室に入ると、震えは一層強くなった。
母はその日のうちに全快した。母も私もスワミが助けてくれたのだと思って感謝している。
1999/4/4
東京センターで小寺さんのホワイトフィールドでの体験発表があった。
「彼女は3/20-3/24の間滞在していた。3/20は彼女の母親の命日だったので、母親がスワミに会う機会を作ってくれたと思っていたそうだ。彼女は運良くインタビューに呼ばれた。そこでスワミは顔色の悪い青年にスワミの顔を彫った指輪を物質化して与えた。後で聞いたところ、この青年は自殺を考えていたらしい。再びスワミは彼を呼んで、その指輪をエメラルドの指輪に変えた。彼女はこうしているスワミの横顔を見ながら心で、お母さん、お父さん、この機会をくださってありがとうと祈っていた。するとスワミが彼女に向き直って、何が欲しいと聞いた。興奮のあまり何を言っていいか判らず、とっさにLoveと答えた。するとスワミは手を回し、指輪を物質化してくれた。その折にそばへ行くと肘掛に置かれたスワミの手が目に入った。よく見ると、それはまさしくリューマチに冒された自分の母親の手であった。不思議な話である」。(後で比良氏が、“小寺さんの母親が指輪をプレゼントしたのだろう”と仰っていた。)
小寺さんはもう一つの不思議な話をしてくれた。「昨年の降誕祭の折、ガネーシャ像の周りを数珠を頼りに108回まわったつもりだったが、後で数珠を調べてみると88しかなかった。そこでこの数珠を108にして欲しいと祈った。そして後で数えると108になっていた。知人にも調べてもらったが間違いなかった。」
1999/5/26
朝のダルシャンでは日本から来たDayalさんと一緒に4列目にいたが、手紙を受け取ってもらえた。その内容は以下の通り。
Swami, thank you very much for taking care of my family.
Swami, could you help the following persons to improve the present situation?
*Hui-San’s husband’s illness.
*Minemura-San’s wife’s illness.
*Ashigara-San’s homeless life.
1999/5/29
今日は日本グループ主催のお釈迦様の降誕祭の日である。私は小窪、高尾、八戸の各医師と、高尾、難波、合田の各看護師と共に診療所を開設して、400人もの日本人参加者に対応した。私の役割は外部との折衝と通訳であった。
夕方の文化祭では、日本グループにより、次の催しものが演じられた。
子供たちによる教育的寸劇
アイヌのダンスと歌
蛍光一筆書き
詩の朗読
和太鼓
スワミは殊の外喜ばれ、出演者の数人にお釈迦様のネックレスを物質化して与えられた。
1999/5/30
今朝のダルシャンの際、会場までスワミの後について行進するメンバーに選ばれた。スワミが居室から出られたところで、花をお供えしパドナマスカールの後、うしろに続いた。とても清冽な気持ちであった。(資料7.1 参照)
1999/6/1
本日で診療所は閉所した。日本人で來所した患者の総数は偶然だが108人であった。(資料7.2参照)
1999/7/26
本社に出張の帰りに、プッタパルティに来ることが出来た。教育(EHV)関連の会議が開かれていて特別の日である。午後スワミの御講話があった。20%位しか聞き取れなかったが、その要点は以下の通り。
*肉体は他人に奉仕するために捧げられます。心、舌、肉体は怒りや欲望で汚されずに、神聖でなければなりません。もしこれらが損なわれると、苦しみが生まれます。
*学生は将来のリーダーであるから、両親や教師は正しく導かなければなりません。
*世俗の知識もSpiritualな知識も重要です。世俗の知識は名声、成功、富、地位をもたらし、Spiritual な知識は思いやりと愛をもたらします。世俗の知識だけでは世間の人は尊敬しません。
*学生は両親を敬いなさい。母は神です。父は神です。彼らを敬わずして、どうして神を崇めることが出来るでしょう。
*人生の5大価値を学び、それを実践しなさい。
5大価値とは、真理、義務、平安、愛、非暴力のことです。
*何をするにも心をこめてしなさい。そして思いやりを込めてしなさい。
*両親は自分の子供達に歴史やラーマヤナを教えなさい。
*神を愛することは皆を愛すること、皆に奉仕することです。愛は神、神は愛です。
1999/7/28
今日はGuru Poornima(グルプールニマ)祭の当日である。
スワミは御講話をされた。その概要は以下の通り。
*人生の目的は自分を知ることです。
*自我の無い愛は神です。愛は正義であり、真理です。全ての行動は愛から始められねばなりません。愛を奉仕に変えなさい。
Love is life,(愛は人生である)
Love Child is affection,(子供を愛することは愛情である)
Love wife is attachment,(妻を愛することは執着である)
Love is God, God is Love、Live in Love.(愛は神である、神は愛である、愛をもって生きなさい)
*愛を育て、至福を楽しみなさい。怒りと嫉妬を愛に変えなさい。瞑想や神の名を唱える際にも愛をもって行いなさい。愛以外には何もありません。愛は無限なのです。愛の力は罪をも引き裂きます。
*人間の心は欲望に満ちています。しかし本当は神が住んでいるのです。慈悲の心で日々を過ごしなさい。少なくとも一日一回は神に感謝しなさい。
*奉仕活動により愛を実践しなさい。皆を愛しなさい。神は何処にでもいます。
*一体感を持ちなさい。これが真の生きる道です。心を愛で満たしなさい。
愛があれば何でも可能です。
*バンガロールに高度医療病院を建てます。Sinclairが担当します。
*愛の化身の皆さん。愛を放棄してはなりません。私は皆さんが愛の化身であって欲しいのです。愛に生きなさい。
1999/8/10
母の家で過ごした。母が唇の隅が切れて痛がっていた。色々薬をつけても効果がないと言う。そこでビフーティをつけることを勧めてみたところ早速試した。翌日殆ど治ったと言って驚いていた。スワミに改めて感謝した。
1999/8/23
SSOJの青年部主催のサーダナキャンプ(合宿)が開かれた。私は坐禅について話した。マレーシアの通産省の幹部のジャガデーサン氏が招待され講演された。その概要を次に示す。
「1997年8月、彼は米と医薬品を援助するために北朝鮮を訪れていた。海辺の村々は台風でひどく破壊され、農村の稲田は冠水して平らになっていた。その時視察に同行した軍の将校により、新たな台風がこちらへ向かってきて、4時には台風域に入ることを知った。そこで、その将校の同意を得て、その場で台風の進路がそれるようにお祈りをした。知っている限りのマントラを唱えた。終わってそこを離れると、10もメートルも行かないうちに雲が切れて日が差し始めてきた。後で町に戻って例の将校に聞くと、台風の進路がそれて被害は無かったとのことである。」
「マレーシアで旱魃の被害が広がった。灌漑用貯水池も干上がってしまった。そこで、人々がジャガデーサン氏に雨乞いのためにバジャンを歌って欲しいと頼みに来た。始めは断ったが、最終的には雨乞いを引き受けた。彼は先ずガナパティ神に祈った。そうしたところ、ヤグナの儀式を4時間やり、その間誰も動いてはならないと言う指示を感じた。では何時雨は降るのかと聞き返すと、12時間以内とのことであった。それでは新聞記者を呼んでも良いかとガナパティ神に尋ねると、構わないと言うことであった。
それから、新聞記者が呼ばれ、ヤグナが準備され、儀式が始められた。すると30分もしない内に雨が激しく降り出した。暫くするとテントが風にあおられ、女性達の衣服がぬれ始めた。そこで彼は雨を小降りにするよう、ガナパティ神に祈った。すると雨が小降りになった。雨はその後2日間降り続いた。この事実は同席していた記者たちによって詳細に報道されたと言う。」
1999/9/30
出張の帰りにプッタパルティに立ち寄った。
SASの社員Bhanuが私の頼みで、スワミの顔を彫りこんだ金の指輪を特注してくれた。指のサイズを測ることなく出来てきた指輪は、私の薬指にぴったりと納まった。彼はとても驚いていたが、私には特に不思議なことではなかった。この指輪は、私にいつもスワミを思い出させてくれる。
最近「Neale Walsch著、神との対話」と言う本がベストセラーになっている。私もこれを読んで見たが、禅の教えとも、スワミの教えとも全く矛盾していない。まるでスワミが書いたように思えた。
ここで人間関係について「神との対話」に書かれている事を書き留めておく。あらためて、親子関係のあり方について考えさせられた。
「先ず引き付け、次に転換させ、反発させる磁石にしなさい。そうしないと引き付けられた者は、あなたに執着しなければ生きられないと信じ始めるでしょう。
人間関係の目的は、本当の自分は何者であるかを決め、本当の自分になることである。
自分を愛するように隣人を愛しなければなりません。
人間関係の決定的な接点では「愛なら何をする」と考えることです。自分にとって最高の善は、他者にとっても最高の善です。自分の為にすることは他者の為にすることであり、他者の為にすることは自分の為にすることです。何故ならあなたと他者は一つだから。
他者を基準として正しことをしようと努力し、すぐに赦し、同情を示し、問題や振る舞いを見過ごしてきた人は、結局は神を恨み、怒り、そして信じなくなります。これは神が要求していることではありません。
愛情ある態度をとるとは、必ずしも相手の好きにさせることではありません。
自分がどう感じているかをはっきりさせ、認め、口にすることです。あなたの真実を語りなさい。優しく、しかし包み隠さずに真実を語りなさい。あなたが真実だと感じるように生きなさい。おだやかに、しかし一貫してあなたが真実だと感じるように生きなさい。経験によって新たなことが判ったら、素直にすばやく変えなさい。
自分自身を創造する仕事に励みなさい。他人の期待に応えるのが務めだと思うと苦労します。
あなたの務めはどれほど人間関係を維持するかではなく、本当の自分は何かを決定し、本当の自分を経験することです。
人間関係の目的は、義務でなく機会を創り出すことです。」
今回の訪問では、パドゥーカ祭の為、ダルシャンは無く、手紙を受け取って頂く機会はなかった。
2000/1/9-1/12
出張の帰りにプッタパルティに立ち寄った。スポーツ祭の為に混雑していた。
バンガロールまでの帰りのタクシーで、運転手がシバ神のマントラをテープで繰り返し流していた。それを聞いているうちにゆったりとした至福感に包まれて行った。車の外を何気なく見ていると、自分が5,6歳の夏の日、母と姉の3人で新潟の大形村の田舎道を手をつないで楽しそうに歩いている光景が目に浮かんだ。私は夏の暑い日ざしの中、沿道の木が作る小さな影まで走って行っては止まり、皆が追いつくとまた走って行っては止まっている自分を思い出していた。母の純粋な愛に包まれ屈託無く遊んでいる自分がいた。ふと我に返るとまだマントラが繰り返されており、そこにはゆったりとした至福の時が流れていた。全く不思議な体験だった。
2000/5/6
連休を利用してプッタパルティに来た。
今日はイシュワランマの日と言って、スワミの亡くなったお母さんを記念する特別な日である。御講話に先立ち、サイ大学のマスターコースの学生のスピーチがあった。興味ある話だったのでここに記しておく。
「2000年3月15日のことである。彼は、母親が結核で痛みに苦しんでおり、身体も痩せ細ってとても弱くなったので、スワミに知らせて欲しいという電話を父親から受け取った。
彼はどうしてよいか判らないので、祈った。すると翌日のダルシャンの際、スワミは彼を認めて次のように言った。“私はあなたのお母さんが病気だということを知っている。私が治してやるから、心配するな。彼女はよくなる。”その後、試験が終わったので、もしスワミが行くこと(GO)を許可してくれて、供物を貰えたら母の元へ行こうと決心した。
次のダルシャンでスワミがそばに来られ、行け(GO)といったので、戻って荷造りをして出発しようとしたが供物が無いことに気がついた。すると弟が走ってきて、スワミが表で待っておられると伝えに来た。急いで出てみると、そこにスワミが立っておられた。彼はすかさず足元にひれ伏した。するとスワミはインタビューに行け(GO)といったのに来ないから私が来たのだと言って、ビフーティを供物として手渡してくれた。そして、お母さんにスワミを信じてこのビフーティを飲みなさいと言われた。そうして彼は母のもとに帰った。お母さんがビフーティを飲むと2日して痛みが治まり、2週間で体重が元通りになった。」
その後、スワミの御講話があった。サイ大学のNarashimahan Multi氏の通訳であった。発音は判り易かった。特に印象に残った話は次の通りである。
*母親を尊敬しなさい。
*お金を犠牲にして貧しい人々を助けなさい。
*話すだけでなく実践しなさい。
これは私に対して、「躊躇していないで、身銭を切って、早く貧しい人を助けなさい。」と言うメッセージに聞こえた。
夕方、ナリ チュガニさんに会った。彼は日本で初めてサイセンターを設立した人である。彼は1999年6月6日にインタビューに呼ばれた体験を話してくれた。
「スワミは彼に向かって、“あなたに新しい命を与えた。それは平安で長い命だ。”と語ったそうである。彼は5年前に卒中の発作を起こし、非常に危険な状態にあった。スワミは彼に、“その時スワミも病院に居たのだ。しかしもう危険は去った。”と言って彼の手をとってくれた。そうしたら、彼はエネルギーが手を通って流れてくるのを感じたそうである。そして今は非常に元気に仕事をしておられる。彼は幾つかの写真を持っていて見せてくれた。神戸センターのスワミの写真からは多くのビフーティが出ていた。また大阪センターのスワミの写真の目の辺りから、アムリタが流れていた。どこで写された写真か忘れたが、一枚の写真に写っているスワミのイメージは実在してなく、現像したら現れたと彼は言った。」
以前ColusaのAmiさんの家を訪ねた折に、そこで行われた結婚式の写真を見せてくれたことを思い出した。そこには新郎新婦と並んでスワミがはっきり写っていたが、そのときスワミはその場にいなかったそうである。あの写真と状況が同じであった。
2000/5/11
今日は滞在最終日であるので、ダルシャンでは、特別席に座らせてもらった。ホワイトフィールドでは、帰る人の為にこのような席が用意されている。スワミがこちらに向かって歩いてこられたので、“昨日ND. Krishnamurty氏の案内で保育所建設地の下見をし、4つの保育所に必要な機材の購入と1年分の運営費を送金することを約束したことを考え、もしこれがスワミの御意志ならば、こちらを見てください”と心の中でお願いした。
その間にスワミは近くまで来られ、私の座っているあたりを軽く目で追われた。すると涼しい清冽な風がスワミから私のほうに向かって流れてきた。ホールの中で、風など吹くはずがない所なので驚いた。今までよく経験した例の震えとは全く違う感じだ。
2000/9/24
今日は帯広グループの4周年記念日にあたり、会長の小窪医師に招待された。
私は奉仕活動について、スワミが御講話で話されていることを要約して解説した。
その後の茶話会で奉仕に関し、質疑応答があった。その応答中、強い例の震えを感じた。私には、スワミがそこに居る感じがした。
出席者の皆が、それぞれ体験談を披露してくれた。それらの内で、特記すべき話は次の通り。
「平野さんは昨年のお釈迦様の降誕祭で、帰国の前日になって首から提げていたポシェットからパスポートを掏られた70歳ぐらいのおばあさんである。私も当時バンガロールに居て、この事件に関連して警察で事情説明をするなど通訳としてサポートした。通常パスポートの再交付には1週間位かかり、その間、皆が帰ったバンガロールで、一人で滞在しなければならず、帰国便も乗り換えなどがあり、英語の出来ない彼女には非常に不安であった。しかしその夜、夢にスワミが現れ、自分がついているから何も心配するなと言われたそうである。その後、数日で書類も揃いデリーまで旅行社の青年が送ってくれた。そこで日本人に会った。その日本人は偶然にも平野さんと同じく千歳まで行く予定の人で、出国手続き等全てに付き添ってくれたので、全く問題なく帯広まで帰えることができたと言っていた。」
もう一人は札幌から開会時間ぎりぎりに駆けつけた市橋さん達である。彼等は今ここにこうしているのが奇跡だと言い、その訳を語ってくれた。
「札幌からこの会場のある帯広へ車で向かう途中、帯広近くの峠のトンネルで壁に接触してしまった。急ハンドルで避けようとした為、車は横倒しになり、対向車線に飛び出して止まった。交通量の多い所だが、その時は運良く対向車がなくて大事故は免れた。周りにいた10人程の人たちが助けてくれたので、車を起こし、そのまま運転して駆けつけて来たとのことであった。」
散会した後、皆で駐車場に行って見ると、市橋さんのライトバンの側面は道路でこすれて、まるで、やすりを掛けられたようになっていた。皆、彼らはスワミのお陰で救われたと言う考えで一致した。
2001/1/20
娘がインターネットで、サイババと私の姓名を合わせて検索したところ、ホームレスに対する奉仕活動についての私の見解と指示が見つかったと言って激怒してしまった。
この書類のどこが問題なのか全く分からない。しまいに妻は私に懇願するようにして止めてくれと言う。少なくとも娘が結婚するまでは目立たないようにして欲しい。さもないと縁談に差し障るとのことである。私としては全く正しいことをしており、人から非難されることは全く無いと考えているので、妻の感情的な要求が全く理解できない。取り敢えずお互いに冷静になってまた話そうと言うことにした。
2001/3/4
相変わらず妻と娘は、私がスワミの組織で活動することも、帰依者であることも、またスワミの指輪を身に着けていることにも大反対で、事態は改善するように思えない。娘は仕事にも、結婚にも差し障ると言って、怒りが治まらない。妻はサイババか家庭かを選択して欲しいとせまる。私としては全くやましい事はしていないつもりであるし、大切な自分の生き方を自分以外の人の間違った感情的な思考で変えることには大きな抵抗を感じた。そこで、以前同じ様な問題を抱えておられたと聞く比良氏にご相談した。以下は彼の話。
「彼は同様の問題で、20年前に離婚した。後で、スワミとお会いする機会があった時に、スワミは、その責任は全て比良氏にある、結婚生活を最も大切に考えるべきだと諭されたそうである。それから独身でいたが、数年前にグループインタビューを受けていたときに、スワミが突然同席の女性を指差し、彼女があなたの奥さんであると仰った。その時、比良さんはその女性の名前も知らなかった。後で人に聞き、山本佳代子と言う名前を知った。そうして佳代子さんと結婚した。その後のインタビューで、スワミは比良氏に、長男、長女を授けると言われたとのこと。今その小さな子供たちが、ヨチヨチと這い回っている。」
私の問題に関しては、結婚生活が一番大切なので、当面サイババの活動から一切手を引き、状況が好転したら、その時に改めて考えることを強く勧められた。現状を考えると、止むを得ないと考え、世話役辞任の手順について話し合った。
帰り際に比良氏が運勢を占ってやろうと言って占いの本を持って来られた。私はお任せをすることにした。比良氏に問われて、家族の性別と生年月日を答えたが、それ以外は一切の情報を聞かれなかった。しかし過去に関しては、驚くほど良く当たっていた。以下は比良氏が占いの本を示しながら説明してくれた私たちの運勢。
「妻:エネルギッシュでバランス感覚に富む、人とも折り合いの良い受容性に富んだ性格。中年時代は困難を伴うが、60歳からは幸せな人生を送る。
私:同情心、信仰心が強い。ナイーブな性格で他人の意見に影響されやすい。個性が強い。大きな個人的幸せと幸運に恵まれる。為政者(Ruler)、重役(Director)、管理者(Administrator)に好かれる。皆に尊敬される。昇進が早い。仲間を大切にして悪いことをしないこと。金運が強い。長寿である。50歳から幸せになる。
(娘と息子に関する部分は、個人情報を含むために本稿では扱わない。)
2001/5/1
連休を利用してプッタパルティに来た。
朝のダルシャンで28日に書いておいた手紙を渡すことが出来た。その内容は下記の通り。
Thank you very much for taking care of my family.
Swami, my mother asked me to thank you for healing her lumbago recently. I also thank you.
Swami, I wish to have your help in guiding my daughter toward a happy future. I will do my best and surrender to you.
2001/5/2
今朝は腰痛がするので、ダルシャンへは行かずに、後述する5月5日のセミナーの原稿を推敲して過ごした。そうしていると、突然、今私が経験している問題は、全て私の過去世の因縁によるもので、それをうまく乗り越えることが、今生で自分に課した試練であると言うことに改めて気がついた。それならば、皆は、私にとっては学びの協力者なのだ。改めて彼らに感謝し、幸せな人生を祈る。
2001/5/5
お釈迦様降誕祭の特別セミナーが9:00時から始まった。
お釈迦さまの10の正しい行いに関する教えと、スワミの教えの関係について、それぞれのテーマで仏教国の帰依者の代表が講演を行うものである。私は後述するように、仏教の慈悲とスワミの純粋な愛(Prema)に関する御講話を参考にして講演することになっていた。
スワミが正面の最前列に着席され、司会役のスリランカのWaniさんを先頭に、私たち講演者が一人一人スワミの前に進み出て、バラを捧げてパドナマスカールを行った。その間スワミは満面に笑みをたたえて、それを受けられていた。
Waniさんの講演者の紹介、続くDr. Weerakoon女史の各テーマの概説の後、各講演に移った。私は順番を待っている間、緊張して押しつぶされそうな気がしていた。そこで心の中で、スワミどうか私を通して、講演をしてくださいと祈った。すると「私がついている、(I am with you)」と言う感じがあった。私は緊張が融けて行った。
プログラムは以下の通り。
8:30-8:35 歓迎の言葉:スリランカのWanniyasekeram
8:35-8:55 テーマの紹介:スリランカの Dr. Weerakoon
8:55-9:10 Giving :スリランカの Dr. Weerakoon
9:10-9:25 (演題失念した):タイのBilly Fong
9:25-9:40 道徳:Chandima
9:40-9:55 慈悲:日本から私
9:55-10:10 Loving Kindness:Dr. Teerakiat Jareensettasin
10:10-10:15 まとめ、Dr. Weerakoon
小栗氏がビデオを撮影してくれた。私の講演原稿は巻末に添付する。その要点を次に記しておきたい。(資料8参照)
その内容は、会社での出来事を中心に纏めたものである。
「今年2月下旬頃、会社で総務を担当している女性社員が繰り返し同じ過ちを犯しているので、厳しく叱責してしまった。言ってしまった後で、スワミがいつも人には甘くソフトに語りかけよと言っていたことを思い出した。しかし口を滑らした後で、どうしようもない。そこで心の中でスワミに“どうかこのような過ちを繰り返さないよう、力をお授けください”と祈った。
翌週母のもとを尋ねると、壁にカレンダーがかかっているのが目に留まった。よく見ると一日一訓と書いてある。それには「慈しみをもって身を修む(Conduct yourself with compassion)」とあった。良い言葉であるが特に気に留めずにいた。
さらに次の週、紀伊国屋書店に立ち寄り、「女一人アジア辺境240日の旅」という本を買った。私は紀行文を読むのが趣味である。ぱらぱらとめくっていると、ビルマ人の慈悲の心と言う言葉が目に飛び込んできた。このような紀行文で慈悲などと言う言葉が出てこようとは予想もしていなかったので少しびっくりしたが、読んでみて著者の視線の優しさが感じさせたものと納得した。
三週目に東京センターに立ち寄った折、たまたま比良氏と話す機会があった。そこで彼から思わぬ依頼を受けた。今年のお釈迦様の降誕祭に併せて行われる仏教徒のセミナーで各国がスピーチするが、日本は「慈悲」について担当することになっている。ついては、そのスピーチを私にやって欲しいと言うものであった。自分にはその資格が無いと固辞したのであるが、英語でスピーチできるものが少ないと言うことで、仕方なくお引き受けした。家に帰ってからはっと気がついた。3週間前に、心の中でスワミに“人を感情的に叱ったりしないように力をください”と祈ったことを。そうしたら、その後に起きた一連の出来事の意味が判ってきた。スワミは私の祈りに応えて、このように学習する機会を作ってくれたのだ。
このような前置きをしてから本論に入った。本論では、お釈迦様の慈悲の教えと、スワミが説くPrema(純粋な無私の愛)を引用し、その二つが全く同じであることを示した。」
午後は文化祭が開かれ、先ずマレーシアが家族の一体性についての劇を演じた。家族のまとまりが無く各自がわがままにやりたい放題の家庭が、仏陀の教えに目覚めて変容して行くと言うストーリーであった。「父親が仕事に逃避することなく、もっと家族の中に入って皆の話をよく聞いて対処しろ」と言っているように聞こえた。これはまさしく今の私に対する忠告だ。
次は日本の青年部の人たちによるスワミのお母さんEswarammaの劇であった。井上さんのスワミの若い頃の扮装が実に良く似ていた。終わりにスワミ自ら舞台に上がり、井上さんにネックレスを物質化して首にかけてやった。彼は感激のあまり泣いていた。
2001/5/6
朝のダルシャンでは3列目にいた。スワミは私たちの前を2度通った。私はその間、“I am with you.”(私がついているよ)と言う言葉を感じていた。午後はスワミのご講話があった。その要約は以下の通り。
*解脱の道を進むには、五つの感覚器官を神聖な方法で制御することが大切です。
全ての苦悩の原因は、感覚器官に支配されていることです。
*つかの間の移ろい行く快楽の為に、なぜ動物のように振舞うのですか。
*真の解脱はスピリチュアルビジョンの一体性と真実を語る舌と愛に満ちたハートにあります。
*銀行から引き出すには小切手に署名が必要と同様に、神の銀行から引き出すためには、犠牲という名の小切手に愛と言う署名が必要です。
ハートを愛で満たし、不純な考えで心を汚してはいけません。
*仏陀は自分を縛りつける快楽を捨てた例です。あなたが感覚をコントロールしたとき、あなたの内なる神と平安を見つけることができます。
*真の自己を知ることが皆のゴールです。これ無くては世俗の知識など何の役にも立ちません。
*人は皆、神の輝きを内に持っています。他人を自分の反映と見なさい。正義と道徳の持つ意味とその重要性を知ることが人生の目的です。
2001/5/18
今朝は早起きして出社前に坐禅をしようと考えていたが、寝過ごしてしまった。眠りから覚めてくると、何とはなしにインターネットで株式市況を見たくなって、朝食前にパソコンの前に座って証券サイトにアクセスした。そうしているうちに大切な朝の時間を精神面の向上に費やさず、このような世俗の事柄に費やしたことについて反省の気持ちを感じたのでやめた。
その後はいつもの通り出社してメールを開いた。そうしたら、アメリカの世界銀行にいるAnil Chandramani氏からメールが届いていた。その添付書類は“神からの朝の挨拶”であった。読んでみてびっくり仰天した。これはまさしく今日の私に宛てられた手紙のようであった。その概要を次に掲げる。
「おはよう、
あなたが今朝起きたとき、私は、あなたが話しかけてくれることを期待して見ていました。たとえそれが私に意見を求める短い言葉や昨日起きた何か良い出来事について感謝の短い言葉でも良かったのです。しかしあなたは着ていく服を探すので一杯でした。あなたが家の中を出かける準備で駆け回っているときでも、少しの間、立ち止まって“ハロー”と言う時間があったのを知っています。でもあなたはせわしく動き回っていました。その後。何もしないで15分ばかり椅子に座っているときがありました。それから突然立ち上がりました。私に話しかけるのかと思っていると電話に駆け寄り最新のゴシップを手入れるために、友達と話をしました。
私は一日中辛抱強く見ていました。あなたは忙し過ぎて私に何も話しかけることができなかったようです。昼食の前にあなたは周りを見渡しました。多分私に話しかけることが恥ずかしかったのでしょう。だから頭を垂れなかったのです。あなたは三つから四つのテーブルをチラッと見ました。そしてあなたの幾人かの友達が食事の前に手短に私に話しかけるのを目にしました。でもあなたはしませんでした。でも良いでしょう。まだ時間はあります。これから話しかけてくれるでしょう。
あなたは帰宅しました。あたかも多くの仕事が待っているようでした。幾つかの仕事が済むとテレビをつけました。私はあなたがテレビ好きかどうか知りませんが、そこでは何でもやっています。あなたは毎日テレビの前に長い時間座って、何も考えずに、ただ番組を楽しんでいます。私はあなたがテレビを見ているときも、食事をしているときも辛抱強く待っていましたが、あなたは何も話しかけてくれませんでした。寝る時間になりました。あなたは大変疲れていたのだと思います。家族の人たちにお休みを言うとベッドに飛び込んですぐに眠ってしまいました。
まあ良いでしょう、あなたは私がいつもあなたの為にそこにいることに気づいていないのかも知れません。私はあなたが知っている以上に辛抱強くなりました。私は、あなたが他人に対してどうしたら忍耐強くなれるか教えてあげたいとさえ思っています。私はあなたをとても愛しています、そして毎日、あなたの会釈や祈りや思考や感謝の心を待っています。一方通行の会話をすることは容易ではありません。
さてまた朝が来てあなたは眠りから覚めます。私はあなたに対し、愛以外の何も持たずに待ちます。今日こそは私に時間をくれることを望みながら。
今日一日良い日でありますように。
あなたの友人、神より、」
2002/1/15
米国のビジネスに関する問題で悩んでいた。そんなとき偶然、Augustine Chang氏から「私(スワミ)に任せなさい」と言うメッセージがメールに添付されて送られてきた。
またしてもタイミングの良い出来事であった。その内容は以下の通り。
「私はあなたが完全に私に任せることを知ったときに介入します。それからは、あなたは何も心配することはありません。“神様、全てを引き取って、私にとって最善となるように解決してくださることに感謝します。”と言って、全てを私の手に委ねなさい。
思い起こしてください。物事の結果を考えるのは、神に任せることの反対です。これは丁度、状況があなたの望んだ結果を生まなかったとき、神があなたを愛していることを信じていないよう振舞うようなものです。あなたはこうして、あなたの人生が神により制御されていると考えていないことを明らかにします。どのような結果になるか、何が起きるかと考えてはなりません。このような誘惑に負けたら、あなたは私を信頼していないことをはっきりと示していることになります。
私はスピリチュアルな面だけでなく、物質的な必要性に対しても、多くのことが出来ます。あなたが私のほうを向き、“あなたがやってください”と言えば、私が確かにそれをします。あなたが私を完全に信頼したとき、あなたは全てを受け取ります。」
これが今の私にとって最も必要な教えだと気がついた。
その2か月後、私のビジネスに関する問題は完全に解決した。
2003/5/18
休暇を利用してホワイトフィールドに来た。
スワミのご講話があった。
今日のご講話の内容は、そのものずばりであった。“Existing things are not existing。 This is a delusion”は言い方も私が受けたインタビュー時と同じだ。 また” Divinity is in your heart, not external. Look for it internally. You are I, I am you.”と仰ったことが印象に残った。
2003/6/24
帰宅すると母が繕い物をしていて、針をなくしたと言う。今までも何度かこのようなことがあり、その都度、スワミにお祈りしたら、針が出てきたと言う話を聞いていた。今回はスワミを煩わせないように、雑巾がけまでして徹底的に探したが見つからなかったので、最後にスワミにお願いしたとのこと。それでも見つからないので、スワミが守ってくださるから心配しないで繕い物を続けているとのこと。そこへ私が帰って来たのだ。そうこうして、母は立ち上がって座った所を見ると、座布団の上に横向きに針が刺さっていた。ここは何度も調べたところで、ここから出てくるのは不思議でならないと言っていた。母はその場でスワミに謝拝をした。
2003/12/5
米国のモンロー研究所(TMI)と言う非営利組織が音響を利用して人間の右脳を活性化し、拡大意識の開発をしていることを英語のインターネットサイトで知った。これは一時期、米陸軍がStar Gate Projectで用いた技術である。TMIは、これを利用した睡眠用CDを各航空会社に納めているほか、この技術を使った各種の研修プログラムを実施している。
それはHemi Syncと呼ばれ、左右の脳に異なる周波数の音を聞かせ、左右の脳が同期してその差分信号を発生させる性質を使い、その差分信号が脳の意識状態に対応した脳波になるようにしたものである。関連した書籍や学会の文献を調べてみると、極めて客観的で科学的であることから、ここで開かれる一週間の研修プログラムに参加することにした。そのプログラムは”Gate Way Program”と呼ばれ、TMIが提供する各種のプログラムの概要を体験させるものである。今日はその初日である。TMIの施設は東部のVirginia州の小さな町、ChallotesvilleのBlue Ridge Mountainの牧場の中にあり、自然の美しいところである。
参加者は総勢24人(男女各半数)、インストラクターはペニーさんとスコットさんの二人であった。皆の内訳と経歴は若いミュージッシャン2人、エンジニア(電子、機械、コンピュター)8人、牧師1人、マッサージ、セラピスト、ヒーラー、看護婦等6人、大学教師1人、飛行教官1人、主婦1人、定年退職者1人、災害援助関係者1人、NASA宇宙船設計者1人であった。
その夜に自己紹介があって、早速初めてのセッションがあった。Hemi Syncにより雑念を処理する方法(Energy Conversion Box)を学んだのち、身体がリラックスして意識がはっきりしている状態(フォーカス10と便宜上呼ばれている)に誘導される。
色々なイメージが浮かんできた。
牧場、白い家、白い柵
北欧のフイヨルドみたいな所
山、あまり木が生えていないアジアの山みたい
TMIのビル(Nancy Penn Center)と庭、数人が歩いている
光、右上から
2003/12/6-セッション1
ゲートウェイセッションの実質上の初日である。
Hemi Sync と音声により、自分を保護する、共振エネルギー球 と呼ばれるエネルギーの膜を自分の周りに作ることを学ぶ。簡単だった。透明なシャボン玉のような膜のイメージが自分の周りにできた。Hemi Sync の影響でそれが身体の周りをぐるぐる回っている感じがする。その後フォーカス10へ移った。自分がボールを見ていると思ったら、自分がボールの中にいた。後で意識は多次元だからそれが普通だと言われた。光の点が3つほど右上から来るのを感じたが、それがなんだか判らない。眠っているような、ボーとした感じであった。
2003/12/6-セッション2
Hemi Sync と音声の誘導により、エネルギーの詰まった棒(Energy Bar Tool)を作るのであるが、どうもイメージできない。その後それを使って体の具合の悪いところを治すことになったが、自分の身体もイメージできず、このセッションは散々であった。
その直後の会合で、それを報告すると、人には簡単にイメージできる人とそうでない人がいる。イメージできない人は、単に思うだけでも、そのほかの感覚器官で感じるだけでも良い。あなたは剣道の経験があるのだから、この棒を握った感覚を覚えてやれば良いと言って棒を渡してくれた。(点灯と消灯で手の感じが変わるとのこと)。自分の輪郭のイメージが出来ないので、自分の身体をイメージして使っていると言う人もいた。この後、何人かの人が、私に話しかけてくれた。要するに緊張せずに気楽に身も心も任せてしまえと言うことらしい。
2003/12/6-セッション3
このセッションはフォーカス10の状態で自由に振舞えと言うセッション。
早速前のセッションで失敗したことをやり直してみる。蛍光灯状のものがイメージできたので、これを紫色にして、自分のイメージした身体を順に照らして、浄化する。
皆があまり気にしては駄目だ、気にするとブロックされて、イメージできない、気楽にやれと助言してくれたがまさにその通りであった。
2003/12/6-セッション4
エネルギーの詰まった棒を小さくしイルカ に変えて体の中の具合の悪いところに送り、治させると言うセッション。
光るエネルギーの詰まった棒を作ることを諦め、手の触覚でやろうと考えていたら、自然と光る棒が出来た。エネルギーの詰まったこの棒を小さくしてからイルカに変えた。光り輝く小さなかわいいイルカができた。(その後いつの間にか普通のイルカの色になった。)
身体の気になる所に送ったら、喜んで飛ぶようにして泳いでいった。あとの会合でこれを発表したら、皆が喜んで拍手してくれた。相談に乗ってくれた皆に感謝した。
TMIの卒業生を中心にイルカクラブと言うのがあり、ここでは病気の人の年齢、場所の情報だけで、皆で決められたときに、その人の治癒を皆で願うことをする。スコットは一年かかると思われていた腰椎骨折の肉親を、これにより1月で快癒させた。医者も驚く結果だと話していた。維持費として$35で入会できる。
2003/12/7-セッション5
初めて意識の拡張に挑戦する。これをフォーカス12と呼ぶ。
Hemi Syncにより、自分が地球からグングン離されて行くような気がする。なんだかロケットかジェット機で急上昇しているようにも感じる。身体はTMIの施設で横になっているのだから、この急速に地球を離れて行くような感覚は何なんだろう。これが意識の拡大と言うことなのだろうか?だがこの不思議な感じのなかで、特にはっきりしたイメージは浮かんでこなかった。
2003/12/7-セッション6
フォーカス12で真の自己(Higher Self)に質問をして答えを貰う練習である。
私は個人的な質問をしたが、回答は感じられなかった。しかし私の意識では、何をすべきか分かっていると感じた。別の機会に具体的に明確に答えが示されることを期待して、このセッションを終わった。
その後、問題解決の手法、One breath techniqueを教わる
*Write problem or question
*Translate to Symbol
*Run Reball
*Concentrate on breath and go to Focus 12
*Place problem or question to the center of consciousness.
*Examine and express gratitude
*Wait for answer
*Write the answer
この後隣り合った人と組んで、一方の人が静かに質問を頭に浮かべると、他方の人の頭に答えのイメージが浮かんで来ると言う実験をした。
私の相手は馬を用いたセラピストのべスであった。彼女から受けたイメージは、頂上にグランドのような広場がある平地のようになだらかな山と、そのすぐ背後にある落葉した山々、そしてそのなだらかな山を手前から囲む常緑樹、そしてその中にある鳥居のようなもの。それを伝えると、彼女は今年のクリスマスはどんなクリスマスになるか考えていたとのこと。そしてこの景色は自分のいるところの景色と全く同じだ、鳥居は平安を意味していると感じるので、静かな平安なクリスマスを迎えると思うとのことであった。それでは山の上にそんな大きな広場など本当にあるのかと聞くと、本当にあるよと答えた。
私は、娘と息子の将来を考えていた。
ベスのイメージは明るい光の束が下から上に向かって吹き上げていて、それを小柄な女の子が見上げて微笑んでいる。そしてそこは小さな庭で、ブロンズ像が見えるとのこと。
私が自分の質問との関係付けに苦労していると、光は愛をイメージしていると示唆された。娘が感じるように愛を示せと言うことか?それではブロンズは息子が芸術を続けると言うことか?いづれにしてもはっきりしない。ベスは日本へ帰ってから、何か判ったらメールを頂戴と言ったので、OKと返事した。
2003/12/7-セッション7
遠隔透視の第一人者のジョー マクモニーグル氏による講演があった。彼はTMIの研究部門の責任者であるスキップが陸軍で遠隔透視プロジェクトのStar Gate Project を担当していたときのスタッフの一人で、退役してからはFBIの協力者として活躍し日本でも行方不明者探しで何度か来日したことがある。正確な描写と高い成功率で広く知られた人である。彼がこのTMIの近所に住んでいるとは知らなかった。
彼の話はスキップの著書Mind Trekに詳しく書いてあるので細かい説明は省略するが、「時間、空間は幻であり、存在しない、だから行方不明者の家族が自分に任せると決めた時点で、自分には全て判る、今進行形の事柄でも、将来に起こることも判る」と言ったことはとても印象に残った。強い意図をもたず、生起してくる現象にその都度最適な対応をして、その結果に執着しないことだとも言った。
2003/12/8-セッション8
時空間の無いフォーカス15を経験する。
Hemi Syncと音声により誘導されてフォーカス15に着く。
何も起こらないので、ガイドが居たら過去世に連れって言ってくれとお願いする。男と女が現れて、私の記録がある図書館のようなところへ連れて行こうとする感じがしたが、はっきりしない。そこで終了時間が来た。
終わってから、皆の話を聞くと、何も無い空虚なところに居た、母の子宮の中のように安心感のある暗闇に居た、真っ暗な劇場に座っていた等と言うコメントが多かった。
ここは時間が無いので、意識すれば、過去にも未来にも行けるところだとインストラクターは言っていた。しかし私には、はっきりしないセッションであった。
2003/12/8-セッション9
フォーカス15で自由に振舞うセッション。
Hemi Syncにより誘導される。真っ暗い所を水平にどんどん進んで行く。着いたところは真っ暗でなく薄明かりのする何も無い所であった。何も見えないので、過去世に行きたいと思った。そうするとアルプスの草原のようなところに、ログハウスがあり、その窓から外を見ているビジョンが生まれた。時空間が無いところの筈なのにと思ったとたんにこのビジョンは消えた。左脳を働かせ考えることは却って邪魔になるようだ。
空間のイメージが拭いきれないので、後でインストラクターのペニーとスコットに質問すると、スコットが、空間が無いとは「ここの場所」と言う感覚が無いことだと答えた。
2003/12/8-セッション10
TMIの研究責任者スキップの遠隔透視とHemi Sync の理論についての講義があった。これも彼の著書に詳しい説明があるので省略する。ゲートウエイ 修了者を対象にしたガイドラインコースでは彼が、一人一人の脳波や皮膚温度を測定し、各段階でのフォーカスレベルを調べてくれるとのこと。
2003/12/8-セッション11
Hemi Syncにより体外離脱の体験。初めての人では成功率25%ぐらいとのこと。
自分が丸太であるとイメージして、水の中でユックリ回転する。うつぶせになってから起き上がれば離脱できるのだが、横になるところまでしかイメージできない。次に寝ていてロープを掴んで起き上がることをイメージした。非肉体の身体を起き上がらせることは出来たが、お尻が離れなかった。もう少し練習が必要だ。
2003/12/8-セッション12
フォーカス12で自由に振舞う。光、光、光、光ばかりで何も見えない。しばらくして亡くなった叔父の存在を感じる。特別に強いイメージではない。
2003/12/9-セッション13
Hemi Syncを使わずにフォーカス10,12,13を体験する。驚いたことにこれまでのセッションで感じたイメージがあるので、Hemi Syncに頼らずとも簡単にできた。
フォーカス12で丸太のローリングをして起き上がった。寝ている自分を見たような気がする。フォーカス15に行く時間は無かった。感謝の気持ちで終わった。
2003/12/9-セッション14
Hemi Sync 音声に誘導されたフォーカス15のツアー。
始めに浜辺をイメージする。それから流れ込んでくる小川に沿って、上流へ歩いてゆく。
道端の草花の匂い、草が足に触れる感触を味わいながら、上流へ向かうと谷がせまくなり、川の源流にたどり着く。そこには洞穴があり、そこを更に進むと木の扉がある。そこを開けると時空間の無い世界である。そこには会いたい人が待っていて、メッセージを携えている。このように誘導されるままたどり着いたところは、上から暖かい光が降り注でいた。そこで誰が待っているのかと探していると二人のビジョンが現れた。おばあちゃんは“身体に気をつけるように”、母方の叔父は“息子を頼む”と話したように感じた。ここでは、はっきりした言葉でなくただ感じが伝わってくるようだ。
感謝してこのセッションを終えた。
2003/12/9-セッション15
自分の妨げになっている感情を解放する練習。これを解放したら、手のひらに白い光を受けそれを体中に広げる。これは実際に使えそうな訓練であった。
2003/12/9-セッション16
ビデオを見る。公園で、家族とくつろいでいるところから映像がズームダウンして、町、地方、国、地球、太陽系、銀河系、島宇宙、更に大きな宇宙へと変化するところを見た。
2003/12/9-セッション17
フォーカス 15でHemi Sync と音声による誘導により、自分の意識を拡大して、太陽系から銀河系、宇宙一杯にして、さらにその宇宙を自分の手で掴むことをイメージした。そしてフォーカス15に戻った。
2003/12/10-セッション18
フォーカス15で真の自己より、自分にとって最も重要な5つのメッセージを貰う訓練。
5番目のメッセージ:特に感じない。
4番目のメッセージ:特に感じない。
3番目のメッセージ:困っている人を助けよ。(イメージは回転している改札のゲートのような所を人が通ろうとしているもの)
2番目のメッセージ:奉仕活動をせよ。(イメージなし。)
1番目のメッセージ:本当の自分を知れ。(イメージなし。)
それではSSOJの活動をするのか、それとも他のことをするのか教えて欲しいと質問した。しかし返事は感じられなかった。半分寝ている様な感じで、集中を欠くとすぐにボーとしてしまう。
2003/12/10-セッション19
フォーカス15で音と一緒になって自分のフォーカスレベルをあげる訓練。非常に簡単で、可聴周波数一杯まで上げて戻ってくる。
2003/12/10-セッション20
始めてフォーカス21を体験する。ここは自分の拡張された意識が他の意識と交流を始めるレベルであるとの説明があった。Hemi Syncと音声によりフォーカス15 から21まで上って行く。そこは白い光の世界。暖かい愛を感じる。幼くして亡くなった妹に会ったが、メッセージは無かったが、ただ暖かい愛を感じた。
2003/12/10-セッション21
フォーカス21で自由に振舞う。先に教えられた方法でフォーカス21に着いた。輝く光が上にあった。
大勢の人が丁度劇場でステージを見つめるようにこちらを向いていた。それから姉と妹のイメージ。自分で想像したとおりのイメージになる。
姉は“元気でやっているので心配するな、何の問題も無かったから前のセッションでは現れなかったのだと母に伝えて欲しい。”と言った。妹は“幼くして死んでごめんなさい。今は生まれ変わって楽しく元気にしているから心配しないでと母に伝えて”と言った。また二人は今後、用があったら呼んでくれればいつでも現れると言った。
ガイドが中々現れないが。見えない相手に対して、修行の為に何をしたら良いか教えて欲しいと頼むが、返事なし。この機会に感謝してフォーカス21を離れた。
2003/12/10-セッション22
Petter Russelの Global Brain(Penny Price Media) と言うビデオを見る。
素粒子、原子、DNA,単細胞、複雑な細胞、生物、生物の中の異端な細胞による組織破壊、人間の世界に置き換えて、個人、村、町、国、地方、地球、そこでの異端な組織による破壊、公害による破壊、いとしい地球の破壊が丁寧な構成で示された。
2003/12/11-セッション23
フォーカス21で自由に振舞う。
Hemi Sync と音声に誘導されてフォーカス21にたどり着いた。真っ青な空が見えた。皆が話題にするガイドを呼んでみるが、現れなかった。代わりに青空が明るい茶色に変わり、更にズームインされて、レンガみたいなものに変わった。意識はぼんやりしてきたが相変わらずガイドを呼び続けた。そこで音声で、フォーカス21に戻るように指示が入った。そうしたら、明るい光の玉が現れた。あなたがガイドかと聞くと“そうだ” と返事が返ってきた。すかさず名前を聞くとNancyと答えた。それからフォーカス15に戻った。
記憶のどこかで、周明と言う名のガイドに会ったような気がするが、思い出せない。
2003/12/11-セッション23
この時間は外へ出て、各フォーカス レベルを感じること。
風が少しあるが、林の陽だまりで、坐禅をしてすごした。自分が林の中の木と一つになるよう意識を集中したが、あまりはっきりした感じは無かった。
その後の会合で、若いミュージシャンのマークは牧場を歩いていたら、鷹が飛んでいた。それをなんとは無しに見ていたら、鷹が羽で風を切る感覚がして、鷹と一つになっている感覚があったと報告していた。
2003/12/11-セッション24
フォーカス21まで自由に体験する。
フォーカス15で真っ暗い空間に出た。右上に2つの光が現れた。Nancy と 周明と感じた。
二人に一つ前の過去世に連れて行ってと頼んだ。するとこのバイブレーションでは駄目だ、フォーカス21まで待てと言う。そのまま待ってフォーカス21まで行く。外国の田舎で、草地の中の一軒家が現れた。中に初老の夫人が居た。それが誰だか判らない。突然リンカーンと言う声を感じたが、はたして、リンカーンの時代を意味するものか、リンカーンと関係のある婦人なのか、それが自分なのか判らない。
その次の過去世に行きたいと頼む。突然真っ暗になる。暫く真っ暗で広大な空間に居る。すると山小屋が出てきた。そこに居る。そのまま何も起きないので死ぬ所まで行くように頼む。そしたら、石に挟まれて死ぬビジョンが出てきた。そこでフォーカス21に戻れとの音声の指示。フォーカス 21からフォーカス12まで戻ると全く自由でTMI のビルの前の青空を自由に飛んでいるイメージが生まれた。木と一つになるようイメージするとその様になった。
2003/12/11-セッション25
近いうちに実現して欲しいことをイメージする訓練。本当に実現するから良く考えておけと事前に注意される。インストラクターは色々経験しているようだ。
私は「私と私の妻子、母、エル(愛犬)が健康で楽しい生活を各自が死ぬまで続けられる」と意識する。セッションはこれで終わり。その後終了式があって、皆でお互いに抱き合い終了を喜んだ。
2003/12/12
11日の午後腰をひねってしまった。専門家であるKeit, Beth, Davidが代わる代わる治療してくれたが完全には治らなかった。ワシントンの空港では荷物を引っ張るにも苦痛だったが、ホテルに向かう途中で、セッションを思い出し、エネルギーの詰まった棒を意識して、腰に当てて紫の光を照射することをイメージしたら痛みは消えてしまった。こうして無事にホテルに着いた。
2004/5/29
昨夜はインドから帰国して初めて鷺宮で坐禅をした。スワミはどこにでもいるのだ。今もこうして私を見ていると思ったとたんに、例の震えを強く感じた。このバイブレーションを感じたのは久しぶりであった。とても感激した。
2004/7/7-13
仕事の打ち合わせのためバンガロールへ来た。クワラルンプールからバンガロールまでの飛行機で、若い女性と隣り合わせた。入国書類に行き先をプッタパルティと書いているので、スワミの帰依者かと聞くと、そうだと言う。一年前にスワミを知り、一ヶ月間の休暇を取りやって来たとのこと。私が5泊6日の滞在だと言うと、日本の人は皆そんなに短いのかと気の毒そうに聞いてきた。自分の体験を色々話してやった。ミュンヘンへの出張の際、機内で読んだ本が縁となったことや、お釈迦様の降誕祭のスピーチで慈悲(Compassion)について話すことになったいきさつ等を話すと興味深げに聞いていて、終わると自分はドイツ人で、今読んでいる本はダライラマの「慈悲を持って生きる(Carry on the life with compassion)」だと言って見せてくれた。このタイトルは、私が母の家で見つけたカレンダーの言葉(Conduct yourself with compassion.)と同じ意味であった。スワミが我々に「慈悲を持つように」と思い出させてくれたのだとお互いに感じた。聡明できれいな若い子でアンドレアと名乗った。彼女は、今夜はバンガロールに泊まり、翌朝プッタパルティに向かうとのこと。私は迎えの車で宿舎に向かった。その4日後、仕事を終えて10日の午後プッタパルティに向かった。車から降りた所でSSOJのSpiritual活動の世話人で翻訳家の牧野さんにお会いした。今日と明日は占星学上とても良い日だと言う。今回は牧野さんと二人で行動することにする。
翌朝のダルシャンではスワミがカートに乗ってダルシャンをされた。手紙も受け取られず、インタビューも事前に決められた人に限られているようだ。スワミの腰の問題は思っていたより悪く、カートから乗り降りするのも両側からサポートを必要とし、見ていて胸が痛くなる。それでも今回は一周されたので、身近にダルシャンを受けることが出来て運が良かったと牧野さんは言っていた。バジャンも同様であった。私はスワミが傍まで来てくれないことや、インタビューが事前に決められた人にしか与えられていない様子などを見てすこし残念な気持ちで居たが、牧野さんは「色々お願いしても何もしてくれないスワミが大好きだ」と笑っていた。彼はダルシャンとバジャンに出るだけの私と違い、いろいろな仕事もしているらしい。それに比べて私は、まだまだ未熟であると反省した。
2004/10/22
安中のおばが淵野辺から訪ねてきてくれた。母を含めて、禅の見性体験を話し合った。おばの見性は大変大きなものだったようだ。この世が、即今で、しかも此処しかないこと、神も仏もなく、真の自己の存在しかないことなど、当たり前のこととして受け入れている。私の分別心で考えた説明など全く必要ないように思えた。その夜、スワミのお写真の前でスワミについて話し始めると、暫く感じなかったが、突然あの例の震えを強くまた長く感じた。思わず、感極まって、涙ぐんでしまった。なにしろ、今年は今日まで、その感じは無く、とても寂しく思っていたのだ。スワミは私のそばに居ると改めて実感した。おばは、自分の記憶力が落ちているのをスワミにお願いして助けてもらいたい、また自分の息子にも良い仕事に恵まれるようにお願いしたいと言っていた。そこで、スワミの小さな写真とビフーティの包みを進呈した。
2005/01/06
今朝まだ暗い頃夢を見た。起きてからも非常にはっきりと記憶に残っている。そしてとても暖かい平安な気持ちに包まれている。その夢は、私がダルシャンを受けている夢である。場所はどこか判らないが、私の上には屋根があり、スワミの歩かれている通路は私の前にあるが屋根がなく空がみえる。私は白い服を着て立っていた。そこへ白いローブを着たスワミがお付きの人たちを従えてやって来られた。私の前に来ると、私の手をとってご覧になり、「なんと白い手をしてるのだ」と仰って、優しく上からなでられた。私が指輪を祝福してくださいとお願いすると、丁寧に指の上から触って祝福された。その時、指輪の一部がはがれた。スワミはそれを手にとって丁寧に拭いて、また指輪につけてくださった。その際、多量のビブーティーが出現した。私はそれを頂いて部屋に戻った。これが夢から覚めた私の記憶である。非常にはっきりした夢で、さめた後も暖かい気持ちを感じていた。
私は17日から仕事でインドへ出張する予定で、帰りにプッタパルティに寄って来ようと思っていたが、冬の寒い時期に母親を長期間一人にすることに不安があり滞在期間について迷っていた。そんな時にこの夢を見たのである。スワミはよく帰依者を呼び、私があなたの夢に出て話しただろうと仰り、それを聞いた人を驚かすことがある。スワミは、はっきりした夢は、スワミが意識してその人の夢に出ているのだと言われるが、私の見た夢もそれに違いないと確信した。そこで、悩まずに出張計画を立てた。
2005/1/20-23
午前中までにソフトジン社との会議を終えて、夕暮れ迫るころプッタパルティに着いた。
午後のバジャンで座っていると突然中国残留孤児の番組(中日友好楼――)を思い出した。中国残留孤児の多くは10年前に帰国したが、未だに仕事も無く、生活保護を受けており、中国に残した養父母に会いに行くことも、呼び寄せることも出来ないでいる。中国の養父母を訪問している期間は生活保護が支払われず、養父母を面倒見ようと中国に帰国しても中国籍が無いため、社会保障は受けられないでいる。養父母はかって中国全土で2000人いたが今では200人になっているとのこと。これは目立たないが手を尽くすべき問題だと思う。こうしていると、一週間ほど前に配信されてきた“スワミの今日”の言葉を思い出した。そこには、「知識を学んでもそれを使わなければ、時間の無駄遣いです」とあった。今の自分にあてはまるような気がした。残留孤児や養父母の現状をインターネットで調べ上げ、援助組織を作る必要性を痛感した。
22日の朝のダルシャンでは男性側に来られたが、午後は女性側を通って行かれ、男性側には来られなかった。腰を痛められてから、行動が狭くなったように思える。23日の朝のダルシャンでは我々の方をご覧になられた。プラサド(お供物)が配られたので、日本に持って帰った。
2006/08/28
ある問題で悩んでいた。もうこうなれば、スワミにお願いするしかないと思って、お写真の前で、坐禅を組んだ。心の中で、「もう私にはどうしたら良いか判りません。スワミに全てをお任せします。最善の結果となるよう、お導きください。」とお祈りをした。そうしたらふっと甘いジャスミンの香りが漂ってきた。ここでは香をたくことはしていないので、この部屋でジャスミンの香りがするはずが無いのであるが、不思議なことである。
しかし、私はこれまでも、このような経験を何度かしている。人々はその瞬間にスワミが来られていた印だと言う。私もそのように感じる。最近あの例の震えるような感覚が来ないので寂しく思っていたが、こちらが想いを強くすれば、スワミは偏在の証を示してくれるのだと改めて感じた夜であった。
2007/10/28
久しぶりに日記を書く。10月18日から23日までの予定で中国の杭州、蘇州を回って上海から帰国したのであるが、特記しておきたい事があった。
19日に杭州の西湖の雷峰塔を見物しているときに、浄慈禅寺と言うお寺が向かい側にあることを知り、参観する価値があるか旅行書で調べてみた。そうしたら驚くことに、天童如浄禅師のおられた寺だということが判った。(この禅師は道元禅師を悟りに導いた有名な高僧である。)そこで早速、浄慈禅寺の門をくぐった。すると、突然身体が震えるような例の感覚がした。最近このようなことは久しく無かったので、驚いた。右腕を見ると、鳥肌が立っていた。この状態は長い間続いた。これはスワミを感じたときに起きることが多いので、改めてスワミを想った。
2008/4/19
3月6日に母がクモ膜下出血で逝ってしまった。1月17日に転倒して以来、左足の具合が悪く、3月4日の明け方再度転倒した。それから頭痛と吐き気を訴えたが、朝まで待ち、かかりつけ医に相談したところ、様子をみるよう指示されたので、救急車を呼ぶことなく手をこまねいていた。今考えれば、これは私の完全な判断ミスで硬膜下出血に気が付かなかった。昼に訪問看護があったが、母は、苦しみを我慢して訴えなかったために、看護師は体を拭いて着替えをさせて帰ってしまった。その直後に母の様子を見に行ったところ、様子がおかしく5分後には昏睡状態になってしまった。当初私は居眠りをしていると勘違いをして起こそうとした。30分ぐらいして、かかりつけ医と介護師が駆けつけ、すぐに救急車を呼んだ。日本医大病院の救急に運び込んだときには既に脳死状態であった。監察医の説明では、側頭部に硬膜下出血の後があり、血液がゼリー状になっているが、直接の死因は脳動脈瘤の破裂によるくも膜下出血によるとのことであった。思えばこの数ヶ月、母に過去の人間関係などについて批判したことが何度かあった。死後に見つけた訪問介護師の記録によれば、このころ母が、自分が皇太子妃と同じ病気にかかったかもしれないと介護士に話していた。これらの原因は私にある。いつも愛情深く私たちを見守ってくれた母にひどいことをしたと言う後悔の思いに胸が締め付けられる想いだ。これらの事実は私が一生背負って、日々の生活の中で償っていかなければならないと感じる。
スワミの教えである“Serve All” “Love All” ”Conduct yourself with compassion”がまだ身についていないことを反省し、いつも念頭に入れて行動することを誓う。
葬儀を3月9日に行ったが、その日から毎夜、私が布団に入ってしばらくすると決まって、どこからか「バッシ」となにかを打つような大きな音がするようになった。根津の伯母が亡くなったとき、母が何度か同じような音を聞いたことを思い出し、今度は母が私に元気でいることを知らせようとしているのだと思うと心が楽になった。この音は49日の法要が終わると全くしなくなった。母も安心して、スピリチュアルな領域で楽しんでいるのだろう。
2008/7/21
19日夜、根津の義さんが上京し母の家に私と一緒に泊まった。
そこで、母と根津の伯母の話に花が咲いた。私は葬儀の後に起きた不思議な「バシッ」という音の出来事を話した。
この話を聞いて、義さんと裕さんが葬儀に急遽参列してくれたいきさつを話してくれた。それは以下のとおり。
「裕さんが私から母の葬儀の連絡を受けたとき、参列しないつもりでいることを私に伝えた。しかしその夜、裕さんが寝ていると「バッシ」と大きな音がして、根津の伯母が枕元に立ち「行ってあげなさい」と命じたそうである。だから兄弟で参列したと言う。そういえば、裕さんは「母(根津の母親で私の伯母)に言われたからきた」と私に言っていたことを思い出した。
その後、私の日記の内容やスワミについて、簡単に紹介した。そうしていると今年はまだ感じたことのなかった例の震えが突然やってきた。スワミのダルシャンを受けても感じることができず、寂しい気持ちであったが、今日久しぶりに感じることができた。とても感激した。
2011/4/28
インド時間4月24日7時40分(日本時間11時10分)にスワミが心臓、肺の臓器不全で亡くなられた。3月25日のダルシャンを最後にして、身体の不調を訴えられ、心臓ペースメーカーを挿入したところまでの情報は掴んでいたが、順調に回復すると思っていたので、特に気を付けていなかった。後になってインターネットの情報を見ると、その後急速に病状が悪化し人工呼吸器や透析でこれまで維持されてきた様であるがとうとう帰らぬ人となった。スワミは昔、ご自分の死期を予言されていたが、私たちはそれを西暦で考えていてまだ10年先のことと思っていた。しかし、その予想を覆しスワミは、肉体を去った。スワミは、これまでも、「自分の死期は自分で決める、誰も変えることはできない」と語られていたので、この早すぎる死に皆とまどったが、太陰暦で計算してみると今年がその年に当たることに気がついた。そういえば、これまでもスワミは太陰暦で話をしているのに、この度はどうしたわけか誰も気がつかないでいた。今になって、今年が太陰暦で言うところのスワミが肉体を去る日に当たっていることに気がついたのだ。スワミとの最後のお別れダルシャン(4月25,26日)と国葬(4月27日)の状況はインターネットを通して詳細に報道されたので、ここでは述べず、自分の周りで起こったことに絞って記録する。
4月24日当日は、どう言う訳か無性に東京サイセンターに出かけてみたくなり、午後4時からのバジャン会に参加できるように予定を組んで出かけた。最近では1年に一度位しか参加しないので、センターのイベント情報は掴んでいなかった。到着すると3時半だというのに、既にバジャンが始まっていた。たまたま玄関を通りかかった若い男性に聞くと、スワミの病状が悪いので回復を願って14時から21時までバジャンを歌うことになったとのこと。私も早速参加しスワミのお写真を拝しバジャンに参加した、そして妻の帰宅に合わせて17時には帰途に就いた。想えばこの時点で、スワミは既に肉体を離れられていたのだ。夜になって電子メールを覗くと宮原君からメールが入っており、スワミが肉体を離れられたことを知った。すぐにインターネットを検索しこれまでの状況を把握した。
今思い起こせば、殆ど顔を出すことがなくなった東京センターに、この24日と言う日に無性に行きたくなったことには、何か意味があったのだろう。禅では路傍の一本の草が風に揺れるのも縁によると言うので、当然意味がある。きっとインドに行けない今の状況を見て、東京センターでお別れをするように意思が働いたのだと思う。
今日宮原君はインドに発った。スワミは繰り返し自分は皆のハートに居ると仰っていた。それは肉体を離れた今も変わらないであろう。悲しみに浸っていないで、日常生活に戻りLove All, Serve All. Love Ever, Hurt Never.を常に念頭に置き、人生の5大価値である真実、愛、義務、平安、非暴力(Satcha, Prema, Darma, Shanti, Ahimusa)を実践していかねばならないことを改めて心に誓った。
2011/6/12
今日は1時から3時まで、上野のラ.ベルオーラムでスワミの追悼式が挙行された。私は宮原君の連絡で知り出席した。5大宗教の牧師や僧侶により祈りがささげられた。その後、比良さんのスワミに感謝するスピーチに続きインド大使や来賓のスピーチがあった。このスピーチの中で、真宗総本山長生寺の付属学園の学園長である柴田節子さんのスピーチが心に残った。彼女は1995年に出版された体験記「神は遍在」の著者でもある。
彼女は「4月24日の11時過ぎに自室を出ようとしたところ、机の上にビフーティが積もるように出現しているのを発見して両手ですくい上げた。家の者も皆驚いた。後で丁度この時間にスワミは遷化されたと知った」と話された。今日来場の他の人たちも多かれ少なかれ、スワミの遷化に際して、このような体験をしているに違いないと感じた。スピーチが終わり、参列者の献花が行われた。こうして追悼式は無事終わった。散会後残って懐かしい旧知の人たちと代わる代わる歓談し、また記念写真にも招かれ、改めてスワミを初めて知った時の驚きと感激を懐かしく思い出した。スワミの遷化をショックに感じている私を見て、Dayalさんが私に「生あるものは皆遅かれ早かれ無くなる。それらは皆幻影で、真実(真の自己、神)だけが残る。スワミはそれを身を持って示してくださった」と言われたが、私もまったく同感だ。スワミは生前に語っていた通り、私たちの前にも後ろにも右にも左にも心の中にも居る。
2011/10/17-10/22
長らくインドに来る機会を作らなかったが、この度、思い立ってインドとネパールの旅を企画してプッタパルティにやってきた。どうしてもスワミのお墓にお参りしたかった。午前と午後のヴェーダ吟唱に続くバジャンの後で、希望者は、お墓に順番に近づいて、お祈りをすることができる。通常プログラムの今では、アシュラムに来る人は以前の10分の一程度の2000人ほどであった。外国人が以外と多い。
19日の夜、スワミの本を読んでいると、一番有効な修行は奉仕活動であると書いてあったので、漠然と私も奉仕活動をしようと改めて思った。20日の昼、食堂でお金を払う際、係りの女性が食堂の奉仕活動をしないかと話しかけてきた。パンフレットを読むと、自分には昼食後の皿洗いが一番適しているように思えたので、それを伝えると、すでに女性がやっているので、代わりに夕食後の食堂の掃除はどうかと聞いてきた。夜はシャワーや洗濯で忙しくてあまりやりたくないので、あと数日で帰るから、今回はやらないと伝えた。そして21日の午後のバジャンで、Alfredに偶然出会った。お互いに再会を喜び合い、夕食時に食堂で会うことを約束してバジャンに戻った。その後夕食をはさんで彼と近況を語り合った。すると彼は盛んにRobert AdamsのSilence of The Heart と言う本を読めと言う。すごい本だから訳してブログに載せれば皆の為になると言う。Swamiの本ではないから興味無いと言うと、スワミは一般の人を対象にしているから、深く説明していないがこの本は悟りを目指すものを対象にしているので、内容が深く、これを読めばスワミの教えがもっとはっきりと理解できると言う。これまでに彼はそのコピーを多くの友人に送ったとのこと。たまたま昨日一部コピーしたのでそれをくれると言って部屋までとりに行って来てくれた。(後でこの本を読んで、Alfredの言っている意味がよく判ったが、これについては別の機会に書くことにする。)
彼は食事が終わったら、食堂の掃除をすると言う。聞いてみると彼は、掃除の責任者になっていた。そこで私にもピンと来た。女性との、これまでの奉仕のやりとりを話すと、彼は笑いだした。こうして夕食後の食堂の掃除を手伝うことになった。
その後ネパールのヒマラヤに旅行したが、山道でもスワミを感じることがあった。
2013/5/12
スワミがご遷化されて2年ほど経過した。しばらくインドに行っていないが、宮原君が重要と思われる情報は逐次連絡してくれるので大変感謝している。私の人生は平穏に過ぎているが時々自分の晩年の生き方を考えるようになった。私はどこかで庵でもむすんで坐禅三昧で生きるのも悪くないと思って、スワミ、山田老師、窪田老師のご著書を拝読する。改めて見性体験の不徹底さを感じる。体験が弱く、思想的に理解していることが多いと感じるので、正師について坐禅をしようと決意する。現在生きておられ、独参を通して指導できる力のある老師は、私の知る限り窪田老師だけである。そこでインターネットで調べると代々木上原の禅堂でご指導されていると知った。さっそく禅堂所有者の松浦氏に連絡をとり参加させてもらうことにした。今日は二日目で総参のご説明をして頂けると言うことで、禅堂に来た。松浦氏のご説明をうかがっていると余談で、氏がスワミのご在所に何度も行かれて、スワミの奇跡などを目撃し、真実であると実感していると言う話が出た。私は誤解を避けるために、ここでは私とスワミの関係については一切話してないので少し後ろめたく感じていたが、それを聞いて、私は自分がスワミの帰依者であること、インドと日本で奉仕活動をしていたことなどについて話し始めた。そうすると突然、鳥肌が立ち例の震える感覚がやってきた。この感覚はとても強く、また話をしている間中続いた。こんなに強い感覚は何年も感じていなかったのでとても嬉しかった。改めてスワミの実在を強く感じたひと時であった。私はもうスワミの帰依者であることを隠すこともなく、とてもすっきりした。スワミは私がこの禅堂で窪田老師のもとで修行することを祝福してくれたのだと思っている。
2015/3/15
2週間前に牧野さんが久しぶりに電話をくれた。彼の話は信じがたいものであった。サイ大学と大学院を首席で卒業したシュリ・マドゥスーダン氏が肉体を離れたスワミの仲介者として、世界各地で講話やインタビュー、質問の取り次ぎをしているとのこと。3月15日に日本に来て講話をするから、参加しないかとの誘いであった。スワミはこれまで人を通して話すことはなく、常に私たちと直接の関係であったので、半信半疑であったが、とにかく参加して自分の目で真偽を確かめることにした。
今日はその日である。
シュリ・マドゥスーダン氏はスワミの講話に先立って、スワミとこうした関係が始まったいきさつを話された。それによると、彼はスワミがご病気になる前から、自宅にスワミがお見えになってお話をされるのが日常的になっていたとのこと。スワミの臨終のときも、自宅の礼拝室で嘆き悲しむ彼の前に現れ、“私はここに、君と一緒にいる。これからも私はいつもここにいる。君は心配しないでプッタパルティに行ってShow(スワミの葬儀)を見て来なさい”と言われたことなど多くの出来事を話した。この詳細はスワミの講話や体験談をまとめた彼らの書物「シュリサティアサイは語る」(第1巻)に記されている。彼はこの正面に安置してあるスワミの玉座にスワミがオレンジ色のローブを着て右手を肘かけに置いて座っているのが見えると言う。そして彼は玉座に向いて立ってマイクを握って話している。
続いてSubtle Form(一般の人には見えない微細体)のスワミの講話が始まった。スワミはシュリ・マドゥスーダン氏を通してテルグ語で話し、それをサイ大学の舎監Narashimahan Multi氏が英訳し、それを更に牧野氏が日本語で訳す形で行われた。これまでもホワイトフィールドでの講話はNarashimahan Multi氏が英訳していたので、スワミの生前と同じであった。テルグ語の調子はまるでスワミが話しているようで全く淀みなく、Narashimahan Multi氏の翻訳の内容もこれまでのスピーチに非常に似ていた。
その後、質疑応答になって、質問者が質問をするたびに、静かに聞いてから分かりやすく答えられていたが、驚いたことに、話し始めるときに質問者の状況をかいつまんでみんなに判るように説明してから答え始めることであった。質問者は感激してうなずいていた。本人しか知らない悩みの背景が皆にも良く分かるようにと配慮してくれたのだろう。ここまで聞いてきて、スワミがシュリ・マドゥスーダン氏を通して話をしているのはオカルトでもブラックマジックでもない、真実であると確信した。生前のスワミにつかえた側近の多くも、色々な体験をしているらしい。その一部は前掲の書籍にも載せられているとのことである。
今日の講話もまたPrema(無私の愛)とSeva(無私の奉仕)に勤しめと言うことであった。私はLove all, Serve allとして心に刻んでいる。
窪田老師のご指導により坐禅を再開して2年経過した。玉木老師に見性を許されているが、はっきりしないので無字からやらせてほしいと言って始めたのであるが、最近ご老師は、「見性していないと言うが本当は見性しているのだろう」と言うようになった。そこで、見性者に対する簡単なテストを通過した後、雑則に参じるようになっていた。
スワミの教えは、言い方を変えれば「自己を忘じ、他利に生きよ」である。これは坐禅が求める生き方と同じである。
2016/2/2/21-2016/3/6
1月8日から11日の接心で窪田老師から改めて見性を許された。ご老師は私が雑則50則が終わるのを待って見性を認めてくれたのだろう。玉木老師のところで参じていたときには、この6割ぐらいの量でも4年もかかり、それでもサッパリ分からなかった。それが、今回は半年で雑則を通ることができた。そして何よりも良かったことは、その答がはっきりと分かることである。禅体験の詳細は別にまとめてあるので、それを読んで頂きたいが、要約すれば次の通りである。
本当は何もない。我なく、他無く、一切無しである。ただ縁によって、姿、事物、声、臭い、暑い、綺麗などが生滅する。これが真の自己の現れた姿である。しかし実体は無い。自己を忘じて、目の前の状況に対応する。これが真の自己。自分も他人もいないのだから分別することも出来ない。ただ状況に応じて自由自在に対応するだけになる。執着も無くなる。ただこれだけ、この事実に気がつくのに37年かかった。理論物理では、この我々が感じる3次元世界はホログラフのような幻影に過ぎない。時間もまた幻影である、今しかない。過去も未来も今の中に畳み込まれていると言う。自分の感じている時間は自分だけのもので、外から見ると過去であったり未来であったりするとも説明する。まさに禅そのものである。物理学者もこの現象の元は意識だと言っている。その根拠は、粒子は本来波動であるが、観測されると縮退して粒子となって現れることにある。粒子が集まって物質ができるから、意識が物質を出現させると言うのだ。禅ではとっくに判っている。その意識を「無、真の自己」と言う、インドではこれを「神」と言う。
見性を祝って、松浦さんが袴を特注してくれた。有りがたく頂戴する。
公案に参ずる意義が分かってきた。要するに自分と他人を区別しないで生活出来るように、修行することにあるようだ。公案は600則もある、無門関だけでも来年の中頃までに終わらせて碧巌録に入りたいものだ。公案をこなせば、2元的な見方がだんだん薄れて全てが自分と感じる様になると言う。こうなれば、善因善果を招くだろうし、因縁も減ってゆき、執着もなくなり、最後には輪廻転生すら消えてしまうだろうと想像できる。それまでは輪廻転生を繰り返すだろう。
2016/3/10
牧野さんが連絡をくれた。肉体を離れたSubtle Formのスワミが来日して3月20日と21日にご講話をされるとのことである。20日のみ参加すると連絡した。スワミが肉体を離れても、マドゥスーダンさんには声も聞こえるし姿も見えるとのこと。マドゥスーダンさんを介したご講話の全ては本になっている。牧野さんが3冊買ってくれたので読んでみるとスワミを彷彿させるものであった。一介のインド青年が原稿も読まずに、長時間スワミしか出来ないような話を淀みなく語ることなど出来るはずがない。また質問者が質問する前から、その状況を知っていて、答える前に皆に判るように解説することなど、スワミでなければ出来るはずがない。全くこの世は不思議な世界だ。スワミの本を読んでいると、坐禅の公案がはっきりする言葉に出会うことがある。それもタイミング良く現れる。以前、アシュラムでは良く経験したことである。スワミは私には見えないが確かに身の周りに居られる。先日危ういところで交通事故を起こすところであったが、あの時もスワミが守ってくれたのだと確信している。
2016/3/12
Subtle Formのスワミの講話集第3巻(Sri Satha Sai Uvacha Vol.3)を読む。公案の参考になる話がでていたので、ここで要約すると:
分別心(Mind)が2元対立の世界を現出させた。これは夢(覚醒した夢)であり実体がない。ここでは時間、空間、因果によってコントロールされる物理的な肉体感覚がある。これ等分別心のある状態は事実ではない。この分別心が全ての出来事をきおくして、それに応じた因果の世界を生じさせる。分別心は至高の束である。事実は分別心も肉体意識も無い、一切無い、ただ永遠の意識があるだけである。思考の無い状態、従ってMindの無い状態である。(これが禅で言う、我無し、他無し、一切無しである。)分別心も肉体意識も無い状態を体験し、生活に生かすことが修行の目的である。これを解脱と言う。
これを私なりに説明する。
永遠の意識(無)が自他を意識すると実体のない身体(body)と分別心(Mind)が生まれ、更に分別心は因果による2元対立の世界を現出する。2元対立による行為と思考が更に因果を生んで輪廻転生を繰り返す。これらは全て錯覚である。見性により身心は錯覚であったと気づき、日々の生活で自己を忘じ、状況に応じて自由に対応する。そうすれば執着が無くなり、因果を生ずる原因が生まれなくなる。これは禅で追及する世界と全く矛盾しない。
2016/3/20
今日はシュリ・マドゥスーダン氏を介してSubtle Formのスワミがご講話をされる日である。修善寺にあるバブティスト派キリスト教会の研修施設である天城山荘で行われた。参加者は外国人約25名日本人約170名であった。牧野さんが通訳をされた。マドゥスーダン氏はスワミが正面の椅子にオレンジ色のローブをまとって坐っておられると言われたが、私には見えなかった。米国のColusaで同じようなことがあったのを思い出した。一部の人には見えているのだろうが私には判らなかった。ご講話は子供の人格教育を中心に話された。
特筆すべき話は、「神は皆の内にある、外を探さずに内なる神を求めよ。内なる神を求めるには、心の内にある悪いもの(ねたみ、欲望、暴力、等々)を全て捨て去る、そして残ったものが神聖な心、神である。(過去のご講話で、神とは永遠の意識と話されていたことを思い起こした。)例えて言えば、井戸のようなもの。最近の利己的な状況は井戸の水脈の上に土砂がどんどん堆積し、また水脈がどんどん下がってしまった。これではきれいな水を手に入れるのは難しい。そこで土砂を掻きだし(修行し)さらに雨が降ることにより(祈りにより)井戸の水脈を上げ、綺麗な水を手に入れなければならない。この世の中を支配する法則は、輪廻の法則と因果の法則である。無私の奉仕をしなさい。心は獣性、動性、神性よりなる。神性を育てよ。人に奉仕をしていると言う感覚が残っているうちはまだ動性が強い。Doerと言う感覚をすてよ。」
Subtle Formのスワミは,「こうして世界を駆け巡り、生前に約束した訪問を果たし、教育、医療活動を続けて、次のプレマサイババ(スワミが転生した三代目のサイババ)の足がかりを作っておく」と話されたことが印象に残った。
2017年3月19日
今日は牧野さんが中心となって準備した、Subtle Formのスワミが来日して日本の帰依者に会う日である。昨年と同じく天城山荘で行われた。マドゥスーダンさんは正面の玉座にスワミがオレンジ色のローブを着て座っているというが私には見えなかった。スワミが自分を通して話しているというが、そう言われてみれば、その声がスワミを想わせる。今年のご講話は、心を内に向けて真の自己を悟りなさい。外を求めても悟ることはできません。と言う趣旨であった。
英語では、“Direct your mind inward. Do not direct your mind outward.”
今年は帰依者から質問を受けて答えることをせず、生前と同じように、手紙を受け取っておられた。私も来年お会いするときにはお手紙を準備しようと思う。
2017/3/20
佐々木さんが、「今年のマハシバラトリ(インドの宗教的お祭り)がMudenahaliで行われている際、マドゥスーダンさんの口から金のリンガムが飛び出した。またスワミはマドゥスーダンさんを通して、インタビュウーや指輪を物質化してお守りとして帰依者に与えることもある」と教えてくれたので早速YouTubeで検索したら、関連動画が数多く見つかった。
2017年2月24日マハシバラトリ2日目の動画ではスワミがマドゥスーダンさんの口を使って金のリンガムを出すところが映っていた。その直後にマドゥスーダンさんを通して説明があった。その要約を下記に示す。
「スワミの生前のマハシバラトリでは、いつもリンガムを物質化して、皆が至福を享受していた。スワミは自分が肉体を離れてから、生前のようにリンガムが物質化されるのを見ることができないので、皆が悲しんでいるのを知っている。そこで、リンガムを物質化して皆を喜ばせたかった。この物質化は何かを証明するためでも、能力を示すために行ったのではない。ただ宇宙の真理であるリンガムを物質化して帰依者を喜ばせたかっただけだ。私は望めば、何時でも、誰を使っても、何でもできる。」
この話を聞いて、以前スワミはこの能力は誰でも自我も執着もなくなれば出来ると言っていたことを思い出した。絶え間なくバジャンが歌われていたが、それを聴くマドゥスーダンさんの姿、そしてダルシャンを行う姿はスワミを彷彿とさせる。
来年も是非参加したいものだ。
2017年3月21日
坐禅の方は公案の参じ方も分かって、順調に進んでいる。多分年内には無門関を終えることが出来ると思う。この状況の詳細は別の記録「坐禅」に記した。先日は窪田老師に独参していて、窪田老師からスワミから感じる例の震えに似たものを感じた。不思議なことだ。
2018年11月5日
接心が11月2日に始まった。この調子で行けば碧巌録も後6か月以内に終わるだろう。公案の要領が分かってきて、毎回スラスラと通過するようになった。この時点で250則の公案を終えることが出来たので、あと2-3年で全ての公案600則を終了することが出来ると思われる。しかし公案に参ずることにより、純粋な無から離れて観念的になってきたように感じる。むしろただ坐禅に没頭し自己を忘ずる方が、日々の生活でそれを生かして行けそうな気がする。そこで老師と相談し、公案禅をやめて、只管打坐で坐ることにした。公案に参じないとなると、毎回、老師に独参する必要もなくなった。
やはり見性後は只管打坐が良いと思う。
2022年5月3日
牧野さんがSri Madhusudham Saiの自叙伝 “The Story, Devine”を送ってくれた。その折に、手紙でPrema Saiの情報を伝えていただいた。それによれば、Prema Saiは2012年11月27日にお生まれになって、現在9歳。14歳の時にPrema Sai宣言をされて、それから19歳までSri Madhusudham Saiに師事され、19歳から世界を回られて、地球の波動を高める仕事をされるとのことである。禅的に言えば、衆生を済度される旅をされると言うことである。
20歳のときには日本にも来られるので、牧野さんが世話人として準備をされるとあった。
この自叙伝には、彼がスワミの姿を見、声を聴いて、私たちに伝えてくれるようになった経緯を詳しく説明している。まるでスワミが生きて傍にいて、彼の行動の一挙手一投足を見守って導いている様子がよくわかる。全く不思議な話だが、周囲の関係者は皆存命中であり、ここに至る経過を証明できる。
2022年5月5日
牧野さんからメールで連絡があり、YouTubeでこのSai Baba組織の基金でフィジーに建てられた無料の心臓外科病院の開所式を見ていた。そうしたら、突然ジャスミンの香りがしてきた。この香りは以前Sai Babaのご在所で坐禅をしているときに感じたものと同じだった。
Sai Babaは時々こうして傍にいることを知らせてくれる。私にとっては久しぶりのことだ。
2023年1月29日
過去数か月、臨死体験と引き寄せの法則について実例を調べている。その状況を書いておきたい。
YouTubeで臨死体験に関するパネルデスカッションが投稿されていた。米国の大学でこの方面の研究をしている精神科と心理学科の教授たちが多くの実例を示しながら考えを共有していた。この分野は思い込みや幻覚と同一視され、批判にさらされ易いので、脳波など科学的方法によって、慎重に調べたうえで発表されている。いくつかの資料を読んで驚いた。内容はMichael Newton 博士たちの退行催眠で死後世界まで退行した数々のケースと全く同じだった。坐禅では死後どのような過程を経て輪廻転生するかについては分からなかった。しかし、臨死体験者はそれを知っていた、だから彼らは私たちと違った見方をする。物質的なものに執着していないように見える。心臓停止から生き返ったジョー マクモニーグルがその良い例だ。Anita Moorjaniの訳書 “喜びから人生を生きる! 臨死体験が教えてくれたこと”には彼女の体験した事実が詳細に記録されている。
またYouTubeには“引き寄せの法則”と題する動画が沢山載っていた。
調べてみると、“想いは実現する”と言うことだった。禅の立場から言うと、当然のことである。現象界は自分の想いが創造した世界だ。良い事を思えば、良い事が起きる。悪いことを思えば悪いことが起きる。この事実を応用して、人間関係や生活の改善、病気の治癒の実例と方法が示されている。私は観念的に知っていたが、具体的に応用したことが無かった。そこで、積極的に応用することにした。すると状況がどんどん良くなってきたので、皆にもお勧めしたい。
————– 続く ———-
- 添付資料(データ化した資料のみ)

資料1:インド首相他著名人によるアピール

資料2―1.アミさんの礼拝室で見られた奇跡の一部

資料2―2.アミさんの礼拝室で見られた奇跡の一部
資料3 欠番

資料4.イギリスの空に現れたスワミ
資料5,6 欠番

資料7.1 スワミのダルシャンに付き添う。
資料7.2 診療所の医師と看護師
資料8:Buddha Purunima Speech on Swami’s Compassion
Om Sri Sai Ram. I offer my most humble pranams at the lotus feet of my most Beloved Bhagwan. Revered elders,my dear brothers and sisters Sai Ram to all of you.,
It is my great pleasure to have a chance to speak to you about compassion. I wish to start with my small personal experience I had recently.
In late February, in my office, I was facing to some problem which was caused by one of my staff’s careless work. Since I was little up set about it, I reprimanded the staff with severe words. Soon after this, I recalled Swami’s teaching that we should always speak sweetly and softly.
But it was too late. So with a feeling of regret for my conduct, my heart sank in deep gloomy feeling. It lasted even after I returned home. And so before I went to bed, I reflected what I did the day, and prayed Swami to give me a strength so as not to repeat it again.
Several days passed and weekend came. So I went to see my mother who lives one hour away from my home. This is my routine week end task since my mother lives alone in Tokyo. In the wall of the living room of my mother’s house, I found Buddhist’s calendar with Word of the Month. To my surprise, It said “conduct yourself with compassion.” Let me repeat, Conduct yourself with compassion. In Japanese,「慈しみをもって身を修む」
I was very moved by finding such a phrase in mother’s place, and I got a feeling that this was exactly what I needed to keep in mind all the time. If I had practiced compassion in daily life, I could avoid this pain in my heart.
And I felt this is Swami’s answer to my prayer. So, in my mind, I thanked Swami for showing me the phrase.
Then 6 days passed, I had a chance to go to book store. There I bought a book about a woman’s travel record in Asia. Since I like traveling, reading travel record is one of my hobby. When I was reading it in my spare time, I found a chapter called “compassion of Myanmar people”. In this chapter, the author was talking about a water pot placed in the roadside by neighbor for visitors as an example of compassionate Myanmar people. I had never expected to find a word like “compassion” in this kind of book so I was very surprised.
And I thought again that Swami is reminding me to keep compassion in my mind.
To tell the truth, until then, I kept forgetting compassion in my busy day to day work. So I thanked Swami again for this reminding.
Next day was Mar.4th,Sunday. So I went to Tokyo center to have a short meeting with Bro.Hira. After finishing the planned subjects, he asked me to make a speech at Buddha Poornima Festival on compassion. Again word “compassion” hit my mind. I was surprised about it but I did not mention it. Initially, I tried to decline this assignment, since as you know, I was in the process of learning compassion and I was not in such an advanced stage to give a speech.
But later I thought again that this must be Swami’s will so that I can have a chance to deeply consider compassion to put it into practice. So finally I accepted.
This is the reason why I am here.
Through this small experience, I learned that I need to keep compassion in my mind all the time and deal with people.
And it was a reminding opportunity that Swami is always with us and watch us and guide us with Devine love.
Now I want to talk about how to cultivate compassion quoting Swami and Buddha’s words.
As you know Buddhism is symbolized by two words, namely, wisdom to realize who I am and compassion for all the beings. So compassion is very important teaching for Buddhists. In Japanese, compassion is translated into two Chinese characters called jihi. Ji means pure love and hi means sympathy. Since true sympathy comes from pure love, we can define compassion as sympathetic consciousness derived out of pure love. Pure love, prema, is one of the five most important human values Swami is teaching.
Buddha said in His teaching that one must have a limitless compassion to all beings just like mother loves and protects her baby with her desperate effort.
Using this metaphor, Buddha meant to say that compassion is the pure love which does not expect reword nor merit, and it is just like mother’s unconditional love for her baby.
Therefore cultivating pure love is very important. Swami taught us this type of love as follows.
“The highest type of love is devoid of any gross selfishness and any pretensions of love for people in authority and affluence. This type of love is based on the knowledge that eternal and universal self pervades everyone and everywhere. If a person develops such equal mindedness, by regarding the entire world as one, then he will cultivate the highest type of love.”
In another words, pure love is developed from clear understanding that there is no I nor mine. I am all, all are I. True understanding of the reality of oneness is what Buddhists are trying to experience through Sadhana. Zen Buddhist practice Meditation as sadhana to experience this essential nature, and also practice Fuse, which means giving things to the needy as an action of compassion.
Swami strongly suggests us to do seva as best sadhana to develop sense of oneness. In the discourse, Swami said as follows.
“ Through Seva you realize that all beings are waves of Ocean of Divinity. No other Sadhana can bring you into the constant contemplation of the oneness of all living beings. You feel another’s pain as your own; you share another’s success as your own. To see everyone else as yourself and yourself in every one, that is the core of the Sadhana of Seva.”
Experiencing oneness with all beings, and understanding the true self are what Buddhists are striving for.
Swami clearly said that Seva is the way to reach there.
To summarize the points, I can say that compassion and pure love are cultivated from sense of oneness.
The sense of oneness is developed by doing Seva.
So, after all, Seva is the most important sadhana for us.
Now I want to share with you a short story about Empress Komyou as an example of a person who demonstrated compassion as Seva.
Empress Koumyou lived 9th century.
At one night, she got Buddha’s revelation, and she committed to scrub the dirt of 1000 poor people by building bath room. She then invited beggars and sick men to the bath room and helped them to remove dirt day and night.
The last 1000th person came. He was terminal Hansen disease patient. As soon as he entered the bath room, the room was filled with smell of pus. The empress kindly scrubbed him to remove the dirt. After he was cleaned, he asked the empress to suck the pus. As soon as she suck the pus, the Hansen disease patient revealed himself as avator of Buddha, and gave blessing to her. The bath room was suddenly filled with sweet smell and light, and the avator disappeared.
After this event, Empress Koumyou started social welfare activity to save poor people first as promotion activity of Buddhism. This is the story of compassionate woman called Empress Komyou.
Of cause, she could choose to stay at Palace with a lot of servants but she choose to practice compassion.
Now I wish to close my speech with my favorite slogan, Love All, Serve All.
Jai SaiRam.
6.参考文献
文献1:奉仕による修行、SSOJ奉仕部訳、SSOJ出版協会
文献2:Modern Miracles, Erlendur Haaldson,Ph.D.
文献3:Sai Baba Avatar, Howard Murphet
文献4:理性のゆらぎ、青山圭秀
文献5:MY Baba and I, Dr.John S.Hislop
文献6:Sathya Sai Baba, Incarnaion Philosophy
文献7:The glory of Puttaparthi, V.Balu
文献8:Vision of Sai, Rita Bruce
文献9:Life is a dream,realize it, Joy Thomas
文献10:The touch of Baba,
文献11:Recapituration of Baba’s Devine Teachings, Grace J. Mc. Martin
文献12:死後の世界が教える「人生はなんのためにあるか」Michael Newton
文献13:神へ帰る Neal Donald Walshe
文献14:禅の正門 山田耕雲
7.参考資料
資料1:インド首相、最高裁長官他著名人による全世界に対するアピール
資料2:アミさんの礼拝室で見られた奇跡の一部(写真)
資料3:スピーチスライド、社会に於ける奉仕の役割
資料4:イギリスの空に現れたスワミ(写真)
資料5:スピーチ原稿、Zen as a spiritual sadhanaの和訳(添付せず)
資料6:仏陀降誕祭での行進(写真)
資料7:診療所の医師と看護士(写真)
資料8:スピーチ原稿、仏陀とスワミの慈悲について