正しい坐禅の勧め

 坐禅は本来の自己を徹見した指導者の下で行うことが最も望ましい。しかし、最近ではこのような指導者(師家と呼ぶ)を見つけることは非常に困難である。そこで浅学を省みず、山田耕雲老師の名著、禅の正門(春秋社)を引用して、正しい坐禅の方法を解説する。

坐禅の目的

 坐禅の目的は、心を落ち着かせる事でも、リラックスしてストレスを軽減することでもない。それらは坐禅の結果としてもたらされるものであり、目的ではない。坐禅の目的は一にも二にも、本来の自己を体験的に気付く事である。従って、「我何者ぞ」と言う強い疑団を持って坐禅に臨むことが非常に大切である。本来の自己に気づけば、この体験を日々の生活に生かしていくことにより、対立や不安から解放された人生を送ることが出来る。

坐禅の準備

静室と面壁:
 後述するように坐禅は、眼を開けて行うので、前方に心が散ってしまうと坐禅にならない。そこで視界を遮る為に1メートルぐらい離れて壁に向かう。場所は明るすぎず暗すぎず、軟らかい光のある静かな部屋が望ましい。あまり明るすぎると、心が散乱して、落ち着かない。暗すぎると心が落ち込んで、生き生きと集中することが出来ない。また周囲が騒がしいと坐禅の妨げになる。特に不規則な騒音の下では集中することが出来ない。この様な環境下では、騒音が気にならない程度の音量で滝の音を流しておくと良い。滝の音源はインターネットから入手できる。
坐法:
 坐禅をするには先ず,坐蒲団を敷く。その上に更に坐蒲を敷く。坐蒲の大きさは直径45cmぐらいの者が良い。坐蒲の厚さは、高すぎると腰の安定を損ね、低すぎると足が痛くなるので、自分に合ったものを使う。
 坐法には結跏趺坐、半跏趺坐、日本坐の三つが考えられるが、一般の人には半跏趺坐を勧める。
 半跏趺坐は、右の足を左の股の下に入れ、左の足を右の股の上に置く坐法である。また両膝頭とお尻の3点で上半身をしっかり支えることが肝要である。もし坐っていて、足が痛み出したら、左右の足を組み替えても構わない。
 尚、年老いて背骨に問題がある人は、脊骨が反り返らない様に椅子を用いて、背筋を伸ばして座ると良い。この時、足の裏をしっかりと床につけて坐ることが大切である。
 手は、右の手を左の足の上に、手のひらを平らにして載せる。その上に左の手を、同じく 手のひらを上にして重ねる。その時、親指の爪先と爪先を軽くつける程度にして、この爪先が胸に向かっているようにする。そして親指と親指で宝珠の玉か、あるいは楕円形の栗の実を立てたような形をつくる。これを法界定印と言う。
この時、上体を一度前へ倒す。それから腰をそのままにしておいて、上体を起こすと背筋が伸びて真っ直ぐになる。
 頭は、頭部の中央から紐で吊られているように真っ直ぐに正面を向く。
 目は、ゆったりと半眼に開き、自分の座から1メートル程度前方に自然に視線を落とす。目はこの様に開けていることが原則である。目を閉じて坐っていると、視界が無くなるから、それだけ環境に気をとられず、精神を統一しやすいように思われるかもしれない。世間一般の坐法でも,大抵瞑目して坐る様に教えられている。しかし、目を閉じて坐ると、雑念が次から次へと浮かんできたり、ぼんやりとした陶酔状態に陥りやすい。これでは気づきに必要な力強い精神集中を維持することは出来ない。
調息:
 先ず深呼吸を数回行い、呼吸を整える。次に身体を左右に振る。丁度振り子のように初めは大きく、だんだん小幅にして最後に静止する。この揺振する回数は4,5回程度、身体全体がリラックスすればよい。
肩に力が入っていれば、意識してリラックスする。
呼吸は、鼻から吸って静かに鼻から出す。後述するように坐禅が進めば、呼吸数も自ずから下がるので自然に任せる。
 尚坐禅を止める時にも左右に揺振する。この場合は始めに小さく振り、だんだん大きく振って十分に体を揺らし、それから徐々に坐禅を止める。揺振の回数は開始時と同程度でよい。

坐禅を行う

 坐禅には、大きく分けて数息観、随息観、只管打坐がある。数息観と随息観はいずれも出入の呼吸を精神集中の手段として使うのであるが、只管打坐は一切の方便手段を排して、何も考えず、ただ座るだけである。従って只管打坐がもっとも純粋な坐禅である。
 しかし、初めての人にとっては、只管打坐は決して容易なことではない。数息観、随息観では出入の呼吸と言う意識集中の焦点があったのであるが、只管打坐には全くの手掛かりがないのであるから、うっかりしていると、心が雑念に占領されて、いたずらに時間を浪費してしまう。多くの場合、一種の陶酔禅的な内容空虚な無事禅に陥りやすい。従って、これは、修行を極めて、はっきりと自己を徹見した人に適した坐り方と言える。
 私は、色々試した経験から、随息観を勧める。これは出入する息を心で見つめる方法である。鼻から吸ってゆっくりと吐いて腹式呼吸を行う。この息を吸うところから吐き終わるまで、息に集中する。これが難しければ、息を吸う時に、心の中で「ムー」と念じながら吸い、「ムー」と念じながら吐くと良い。
 集中が進むと呼吸と脈拍が落ちてくるので、呼吸数で集中の度合いを知ることが出来るが、坐禅中には、その様なところに気を散らしてはならない。
 どんなに一生懸命坐禅をしても、目の前の物は見えるし、音も聞こえる。眠っているわけではないので、次々と色々な雑念が浮かんでくる。そこで、何が見え、何が聞こえ、何が頭に浮かんで来ても、それは坐禅の為に決して悪いものではなく、坐禅を妨げるものではないからこれを邪魔にする必要は無い。また何が見え、何が聞こえ、何が心に浮かんで来ても、それが坐禅の為になるものでもないから、意識的に見ようとしたり、聞こうとしたり、追って行ってはいけない。それ等は自然に任せ、只ひたすら呼吸に集中して坐れば良い。
 いつの間にか雑念に取りつかれて、とりとめもない事を思っていたら、それに気が付くと同時に即刻、随息観に戻れば良い。何が見えても、聞こえても、一切邪魔にもせず、相手にもならず,ただ泰然と、悠然と、そして凛然とぶっ坐るだけである。
この様な坐禅を食事後30~40分は避けて、一回当たり20~30分行うことが望ましい。初めて坐禅をする人にとっては、5分程度から始めて、慣れてきたら時間を延ばしていくのが良い。長時間座っても、雑念に振り回されたり、陶酔状態になっては逆効果となる。短時間で良いから集中度の高い坐禅をするのが良い。

こうして、坐禅が進み、自己を意識する事も無くなった時、突然気づきが訪れる。しかし、坐禅中は、それを願ったり、期待したり、追ったりしてはいけない。それも雑念である。何が浮かんでも、相手にしないで、ただ坐ることが重要である。


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